特にツイッターやmixiなどは、個人の私生活がありありと見えるために、いつの間にか相手を深く知っている気になり、恋心を抱いてしまうこともあるようです。
はてな匿名ダイアリーの記事「Twitterに疲れた」(http://anond.hatelabo.jp/20100908222137)では、増田がツイッターのフォロワーに恋をしてしまった苦しい胸のうちを告白しています。それによると
「最大の疲れる理由は恋に落ちたこと。文字列に恋してしまった。」
「寝ても覚めても、そのアカウントが書く文字列が気になり、どういう文字列をふぁぼっているのかが気になり、誰と何の会話をしているのかが気になった。」
「@を飛ばしたり、DMを頻繁に送っていた。内容自体は他愛もないことだが、こちらがのぼせているのが伝わるのが怖くて、送った直後に消したりしていた。で、返事がくるとさらにのぼせていた。」
という感じで、フォロワーさんにのぼせている様子がわかります。
■新しいようで昔と変わらない恋愛の形?
「Twitter上の相手に恋をする。」
「しかも140文字の呟きの断片しかない相手を好きになるなんて正気なのか…?」
ネットの恋愛に否定的な人たちは眉をひそめそうな事例ですが、このような形の恋愛話は昔からあるようです。
筆者が子供の頃には文通がブームになりました。中・高生が読むような雑誌などにはペンフレ募集コーナーなどがあり、実際に遠くの土地の友達と文通をする人が結構いました。異性のペンフレを持ち、恋心を抱いていた人も少なからずいたようで、爆風スランプの名曲「大きな玉ねぎの下で」でもペンフレンドの恋が描かれています。
また平安時代には恋のやり取りが歌で行われていました。お互いの顔も良く知らない男女が、互いに短歌をやり取りしながら恋心を温めていたわけで、短い文章のやりとりで(短歌は31文字!)恋心が芽生えるというのはまんざら不自然ではないのかもしれません。
ツイッターも短歌も短い文章に様々なエッセンスを詰め込むということで、その人の人となりや知性が問われます。外見などではなく中身を重視する人にとっては、その人の中身が見えやすい文章でのやり取りは恋愛に発展しやすいのかもしれません。
外見に自信がない非モテも、中身に自信があれば、文章力を磨くことによってツイッターでモテモテになることが出来るかもしれませんね。(peropero)
【参照】非モテタイムズ
http://himo2.jp/