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かつてはコントで汚れ仕事もこなした永作博美【有名人の消し去りたい“黒歴史”】

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永作博美

 フジテレビで30日に『FNN報道スペシャル 平成の“大晦日”令和につなぐテレビ』を生放送することが決定した。平成が終わる大きな節目に“新しい皇室のあり方”を模索されてきた天皇皇后両陛下のこれまでの歩みを、独自映像と関係者から得た秘蔵エピソードで振り返る。

 民間から初の皇室に嫁いだ美智子さまは、当時、苦しい胸の内をノートに綴られていたそうだ。そして、美智子さまとごく親しい人物が、それを一字一句、書き写していたノートが存在。番組では美智子さまの知られざるお気持ちが記されたその貴重なノートを基に、これまで歩まれてきた道のりを、東宮女官長の目線からドラマ化を実現した。

 主演となる東宮女官長役には、女優の永作博美が選出された。永作は「とても心温まる作品で驚きました」と感無量の様子。さらに、東宮女官長という役について、「役を作りきれませんでした。そのくらい私のいる世界とはかけ離れた世界でした」と苦労も明かした。

 永作というと、1988年に『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』の美感少女コンテストでベストパフォーマー賞を受賞。フジテレビが運営するタレント育成講座「乙女塾」に、歌手コースの第1期生としてスタートさせた。その後、松野有里巳、佐藤愛子(結成当時は佐藤の代わりに中嶋美智代が候補)の3人で、アイドルグループribbonを結成。93年にはシングル『My Home Town』でソロデビューを果たした。

 その後、『劇団☆新感線』を経て、1994年にドラマ『陽のあたる場所』(フジテレビ系)で女優デビュー。演技において頭角を現した永作は、ブルーリボン賞主演女優賞を始めとする名だたる賞を手にし、大女優へと上りつめた。

 女優としての実力を買われ、前出番組において主演の座に抜擢されたのだろう。だが、かつて永作は、アニメソングを唄い、バラエティ番組で体を張った“黒歴史”も存在したのだ。

 1989年12月に発売したribbonのデビューシングル『リトル☆デイト』は、TVアニメ『らんま1/2』(フジテレビ系)の主題歌として起用され、オリコン10位を獲得。その後も、TVアニメ『たいむとらぶるトンデケマン!』(同)のエンディングテーマ『そばにいるね』など、立て続けにヒットを飛ばし、スターへの階段を上り始めた。

 しかし、90年代に入ると、「アイドル冬の時代」と呼ばれた低迷期が到来。だが、ribbonは当時の女性アイドルグループとしては珍しく、『KURA・KURA』(テレビ朝日系)、『シンデレラEXPress』(同系)などでは、コントに捨て身で取り組み、時代の逆風を乗り越えた。

 「深夜帯の『KURA・KURA』は、B21スペシャルがメイン司会で、長田江身子がアシスタント、ribbonのコーナーによる20分の尺だったが、徐々にribbonをメインへとシフトしていったという。ショートコントメインの番組構成で、アイドルにもお構いなしに顔面ペイントなどの“汚れ”た企画が満載だったようだ。また、メンバーが泡風呂に入ってフリートークを繰り広げる“リボンインザバス”というコーナーもあり、まさに全身全霊で挑んだ番組だったという」(放送関係者)

 これらの試練が、のちに本格的な女優として活躍していく下積みとなったのだろう。

 ribbonは1994年あたりから次第に自然消滅していく形で実質解散としているが、96年、01年、07年、10 年にベストアルバムがリリースされている。このことから、当時からの根強いファンがいることは確かである。

 プライベートでは、2009年に映像作家の内藤まろと結婚。10年に長男を、13年に女児を出産し、2児の母となった。

 在位中の天皇、皇后がドラマ化されるのは初の試み。劇中で永作は、美智子さまの身の回りのお世話から、時に厳しくお妃教育を担当することになる。時代の締めくくりと幕開けにこの上ない作品と出会えた永作の栄光の陰には、コントで培った原動力が影響しているに違いない。

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