本連載で繰り返しているように、そもそも「国の借金」ではなく「政府の負債」だ。英語で言うと、Government Debtである。ちなみに、日本銀行の統計では、正しく「政府の負債」となっているのだが、これが財務省経由でマスコミから報じられる際に「国の借金」と言葉が変えられてしまう。
政府の負債であれば、借り手は「政府」であることが誰にでも分かる。とはいえ、国の借金(ひどいデマゴーグに至っては「日本の借金」と呼ぶ)と言われると、我々は何となく「自分が借りているおカネ」として認識してしまう。
しかも、政府の負債を人口で割り「国民1人当たり878万円」とやられるのだ。国民は「そんなに借金があるのか!」と、まるで自分のことのように恐怖を感じ、財務省主導の緊縮財政路線に逆らえなくなってしまう。
財務省お得意の政府の負債を「国の借金を、家計にたとえると」も悪質なキャンペーンだが、「国民1人当たり」も同様である。そもそも、家計と政府は異なる経済主体であるにも関わらず、それを同一視させることで、危機感をあおり、緊縮財政路線を続ける。
それ以前に、借金(負債)の裏には必ず「資産」が存在する。資産と負債はコインの裏表であり、両者合わせて「おカネ」なのだ。それにも関わらず、財務省発のプロパガンダにだまされる国民が大半であろう。理由の一つは、そもそも日本国民が「おカネ」について理解していないためである。
おカネとは、モノでもなければ、それ自体が価値を持つ資産でもない。おカネとは、債務と債権の記録だ。つまりは「資産=負債」がおカネなのである。例えば、日本銀行が発行する現金紙幣。読者の財布に入っているだろう千円札、五千円札、一万円札は、日本銀行の借用証書である。その証として、表面に「日本銀行券」と書かれている(なかったら偽札だ)。
さらには、銀行預金は「読者の債権」であると同時に「銀行の債務」でもある。実際、銀行のバランスシート(貸借対照表)を見ると、銀行預金が「負債=債務」として計上されている。おカネとは、債務と債権の関係が成立した瞬間に「無」から創出される。信じ難い話だろうが、事実だ。
銀行預金は、読者が銀行からおカネを借りた瞬間に、通帳に記載される数字として発行されるおカネだ。銀行は、おカネを発行する際に、別に何らかの資産を必要とするわけではない。
読者が銀行から3000万円を借りるとしよう。3000万円を現金紙幣で借りる人は、まず存在しない。ならば、いかなるおカネで3000万円を借りるのかといえば、もちろん銀行預金である。それでは、銀行は読者に貸した3000万円を、どこから入手したのだろうか。どこからも入手していない。単に、読者の借用証書と引き換えに、3000万円を銀行の通帳に記載するだけである。
読者が銀行から3000万円を借り、借用証書を差し入れた。その瞬間に、3000万円のおカネ、つまりは銀行預金がこの世に誕生するのである。
ここまで書いても信じ難い読者がほとんどだろうから、銀行の「始まり」についてご紹介しよう。中世のイングランド王国において、ロンドンの大商人の手元に金貨が貯まっていった。大商人たちは手元に金貨を置いておくことを敬遠し、ロンドンのゴールド・スミス(金細工商)に預けることにした。金細工商の職場には、職業柄、巨大な金庫が存在したのである。ゴールド・スミスたちは金貨を預かり、商人たちに預かり証(金匠手形)を渡した。
さて、やがてゴールド・スミスは、金貨を預けた商人たちが一斉に金匠手形を持ち込み、現金化をすることは「あり得ない」と考えた。ゴールド・スミスは金庫の中の「商人から預かった金貨」を貸し出し、金利を稼ぐようになる。
同じ時期、ゴールド・スミスが発行した金匠手形が「紙幣」として流通し始める。金匠手形を保有する商人は、買い付けの際にわざわざゴールド・スミスを訪れ、手形を金貨に交換しようとはしなくなった。単に、必要金額分の金匠手形を商品の売り手に渡せば、それで済むのである。
そして、ゴールド・スミスはある時点で、ついに気が付いたのだ。別に、実体のある金貨を貸し出す必要はなく、借り手に金匠手形を渡せば「貸出」のビジネスが成立することに。というわけで、貸し出しの際にゴールド・スミスは金匠手形という「おカネ」を発行する(しかも「ゼロ」から)ようになった。それで何の問題もなかったのである。
お分かりだろう。ゴールド・スミスの「金匠手形による貸し出し」は、現在の銀行業務の先祖だ。現在の銀行は、貸し出しの際に銀行預金というおカネを発行している。
それでは、銀行やゴールド・スミスが発行するおカネの「担保」は何なのだろうか。貴金属ではない。顧客が差し入れた「借用証書」こそが、おカネの担保なのである。日本で流通する1000兆円以上の銀行預金というおカネの担保は、銀行にとっては貸付金なのである。銀行は、ゴールド・スミスと同じように、借り手が「返済できる」という見込み、つまりは与信を担保におカネを発行しているのだ。
前述が現実であるにも関わらず、おカネについて「特定のモノ」として認識している人が多すぎる。結果的に「国の借金プロパガンダ」が効力を持ってしまうのだ。
ここまで読み進めても、おカネが債務と債権の記録であり、銀行預金というおカネの担保は「貸付金」、銀行は与信が許す限り、論理的には無限におカネを発行できるという「真実」を認められない読者がほとんどだろう。その読者のおカネに関する勘違いが、緊縮財政に力を与え、日本国の小国化を後押ししているのである。
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みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。