1936年5月18日、東京都荒川区の待合で、男性器が切り取られた男性(当時42歳)の絞殺体が発見された。警察が現場から逃亡した阿部定(31歳)の行方を追ったところ、事件から2日後の5月20日に品川の旅館にいるところを発見。本人であることを認めたため逮捕した。
切断した男性器をずっと持ち歩いていたことについて、定は「一番かわいい大事なものだから」と話した。
同年12月21日、東京地裁は定に懲役6年を言い渡した。刑務所内では、定は模範囚だったという。さらに4年後の恩赦によって減刑を受け、翌41年に出所。その後は料亭や旅館などに勤めたり、飲食店を営んだりしていたという。