人口はもとより財政、雇用、あるいは市のイメージアップなど、さまざまな面でシャープに大きく依存している同市は、まさに典型的な企業城下町といえる。操業開始から48年を迎えた栃木工場(デジタル情報家電事業本部)を抱えているだけに、もし工場閉鎖となれば受けるデメリットは計り知れなかった。
矢板市企業誘致課の担当者が当時を振り返る。
「シャープの経営危機が伝えられ、栃木工場の閉鎖もあるのではといわれていましたので、シャープ本社に問い合わせて情報収集に努めていました。幸い工場も存続し、雇用も確保するとの回答を得たので安心しました」
とはいえ同工場は一昨年春、従業員1500名中400名の早期退職を図り、思い切った人員整理と規模縮小を行っているだけに、雇用不安は完全に解消されたわけではない。
「しかも、今いる従業員もパートや派遣社員がほとんど。鴻海は、雇用は保証すると言ってはいたが、果たしてどうかねぇ…。相手は外資だから、今は大丈夫でも将来までは、ね」
栃木工場に隣接する住民は不安な表情でシャープの白い工場建物に目をやる。この不安は矢板市民に共通したものだ。
シャープは明治45年(1912年)、早川徳次氏によって創業された家電のトップメーカー。“液晶のシャープ”と呼ばれる地位を築き、その代名詞ともいえる『AQUOS』は世界中で大ヒットした。
しかし、廉価な韓国、中国製品に次々と市場を奪われ、業績悪化に歯止めがかからず、ついに外資の軍門に下ることに…。日本の大手家電メーカーが丸ごと外資系企業の傘下に入るのはシャープが初めてだ。
結果的にシャープは鴻海が示した“カネ”と“丸抱え”の好条件になびいた格好だ。鴻海は1974年、台湾で創業。郭台銘会長が一代で築き上げた精密機器メーカーである。米アップル社のスマートフォンやソフトバンクのロボット、任天堂のゲーム機などを生産。中国に組み立て工場を持ち、安価な労働力と経済特区優遇措置に支えられて成長を遂げてはいるが、受注専門のいわば下請け企業。発注元の求めに応じて部品を組み立てるだけで独自に開発した製品、自社ブランドは持っていない。そのため今後の経営戦略上、自前の製品開発は不可欠。この点で高い技術力、開発能力、ブランド力を持つシャープは“いい買い物”であった。