ジョービッグバンが勝った99年も大波乱の決着となった。1着のジョーが7番人気、2着エイシンガイモンが10番人気、そして3着のカミノクレモナはシンガリの16番人気だった。
当時は馬連しかなく1万1290円の配当が目立つ程度だが、もし今のように3連単があったら…とんでもない配当になっていたのは間違いない。
そのジョーだが、前走で500万の平場を勝ったばかり。オープン馬が居並ぶ重賞ではいかにも地味な存在だった。
しかし、大駆けの要素は十分にあった。虚弱体質のせいでデビューが3歳の7月と遅く、当初はダート中心にレースを続けていた。成長をじっくり待ったかいあって体質は徐々に強化。陣営が自信を持って芝に送り出したのが、函館記念の前、前述の500万戦だった。
そこで、ジョーは父サンデーサイレンスから受け継いだ素質、そして芝適性をいかんなく発揮。6馬身差の圧勝を演じた。
その勢いに乗って挑んだ函館記念は50キロの軽ハンデ。主戦の山田和騎手は体重の問題から田面木騎手に鞍上を譲った。実績一番、トップハンデのサイレントハンターとは実に9キロのアドバンテージをもらった。
レースはトウショウオリオンの逃げをサイレントの直後でマーク。4角では先頭に立つ積極策で2着に3馬身1/2差、スタンドがどよめく圧勝だった。
その強さがフロックでなかったことは翌年の活躍で証明した。中山金杯を関西馬として初めて制覇。続く小倉大賞典もあっさり勝って重賞連覇を果たした。また、宝塚記念では9番人気ながらテイエムオペラオー、メイショウドトウの3着と大健闘してみせた。
その後は7歳まで現役を続けたものの、目立った活躍がなく02年5月の金鯱賞を最後に引退。SSの血が買われ、種牡馬に転向した。