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人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第65回

 腹心、二階堂進の反乱を抑えた田中角栄には、踵を接するように次の難題が忍び寄っていた。田中派のもう1人の幹部、竹下登の反乱であった。二階堂の反乱が、その引き金になった形でもあったのだった。

 昭和60年1月、竹下を中心に、小沢一郎、梶山静六、羽田孜、あるいは竹下を先輩とする早稲田大学出身の小渕恵三、渡部恒三ら時の中堅、若手グループが、田中派内に勉強会とした「創政会」を立ち上げた。
 背景には、まず最大派閥であるにもかかわらず、田中いわくの「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまたワラジを作る人」で、田中に世論のバッシングがあることから田中派から総裁候補を出せず、他派閥の同期が次々と大臣ポストを得る一方で“遠慮”をせざる得ないという不満が大きかった。田中が前面に出られぬなら、新しいリーダーのもとで田中派の実質的な再興を目指すべきだとの思いも重なったのである。
 また、田中の信頼厚い後藤田正晴が中曽根内閣で官房長官になって以来、中曽根内閣を支え5年にわたって常に陽の当たるポストに就いていたこともあった。いくら「親分」の意向であるにせよ、中堅、若手のやっかみが少なくなかったということだった。しかし、田中は耳に届くこうした不満を一喝、全く相手にせず言ったものだ。「彼らは生意気なことを言うが、勉強が足りない。後藤田は役所をきっちり押さえているが、彼らが10人集まったって後藤田1人にかなうものか」

 さて、この「創政会」設立に対し、当初、田中は「勉強会、大いに結構。ただし、“早稲田グループ”に偏ってはいかんよ。幅広くやれ」などと竹下に注意、余裕のあるところを見せていたが、やがてその判断が甘かったことが分かる。2月7日、先の議員などを含め田中派議員40名が正式に「創政会」発会式を執り行ったことで「派中派」として名乗りを上げたのと同然とし、田中は態度を一変させて激怒、直ちに田中支持グループに命じて切り崩し工作を開始したのであった。ロッキード裁判で無実を晴らし、できるなら首相復帰との野望も抱く田中にとって、派閥を割る行為は何としてでもつぶさなければならなかったということだった。
 このころの田中は、子飼いの面々に裏切られたの思いから大荒れに荒れ、ウイスキーのピッチはいやが上にも早まった。

 「創政会」正式設立から3週間足らずの2月25日、東京プリンスホテルで羽田孜の「励ます会」パーティーがあり、田中はここに来賓として出席した。筆者はこれを取材しているが、田中のウイスキーの飲み方に驚いたものだった。ホステスにオールド・パーをなみなみと注がせ、水はほんの申し訳程度。そのほとんどストレートに近い水割りをフタ口で飲んでしまったのである。これで体が持つのかア然としたものである。そして、来賓として竹下もいる中、一席こうブッている。
 「田中派の総裁候補は、一に二階堂進、二に江崎真澄、三に後藤田正晴だ。順序を間違ってはダメだッ。田中角栄は話を聞かないと、若い連中は言うが、これからは“賢者は聞き、愚者は語る”でいく。もっと、若い連中の話を聞くつもりだ」
 それから2日後の27日、田中は脳梗塞で倒れた。“狂気”の高まりがさせたものと思われた。この羽田のパーティーでの話は、これが政治家・田中角栄の実質的な「最後の言葉」となっているのである。東京・飯田橋の逓信病院に入院、一命は取り留めたものの言語障害などが残り、田中の政治生命は突如として終わりを告げることになった。

 一方の竹下は、「創政会」旗揚げから1年余で田中が倒れたことにより一度はこれを解散したものの、昭和62年7月「経世会」として新たに竹下派を発足させた。竹下に従ったのは「創政会」のメンバーを中心に総勢113人、竹下と対立した二階堂グループ、後藤田などの中間派、それぞれ10名余はこれに加わらなかった。最盛期141人を誇った田中派、田中の「専横政治」も、ここにおいて15年の歴史に幕を閉じることになる。
 その後、ロッキード裁判は一審有罪のあと直ちに控訴されたが棄却され、それでも田中弁護団は田中が入院中のさなか上告して争う姿勢を崩さなかった。しかし、上告中の平成5年12月16日、田中が死去したことにより公訴棄却となり、謎を残したまま歴史の中にうずもれたことになっている。享年75、戒名は政覚院殿越山徳栄大居士であった。

 田中亡き後、「田中政治」に時に批判の声を投げ掛けた人物の言葉が残っている。
 「政界にこんな『天才』が現れるのは、50年に一度あるかなしかだろう。『金権政治』という単純なパターンで、彼を裁ききることはできない」(作家・松本清張)
 「福田赳夫や大平正芳が束になっても、田中1人にはかなわなかった。指導力、政治力、いろんな意味でだ」(元自民党幹事長・保利茂)

 次回は、本連載の最終回になる。田中という政治家の改めての功罪、いま生きていたらどんな政治を展開しただろうかに言及してみたい。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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