「強豪・有名校に行かなくてもいい」
理由は「野球一辺倒の高校生活を送りたくないから」だと言う。あくまでも筆者がインタビューできた限りだが、強豪・有名校への憧れを語った中学生の方が少なかった。同時期に激戦区の1つである東東京大会を征し、甲子園初出場を果たした都立雪谷高校も取材したが、主力メンバーのなかには強豪・有名校からの誘いを断って同校に進学した生徒も何人かいた。99、01年、甲子園に勝ち進んだ公立の城東高校(東東京)も同様である。07年、公立の佐賀北高校が夏の甲子園大会で優勝したように、「私立=強豪」の図式は崩壊したと見ていいだろう。
甲子園大会の大きな転換期となったのは、駒大苫小牧(南北海道)の全国制覇である。「私立=強豪」のイメージ同様、「積雪のため、グラウンドを使える時間が短い北国は不利」なる指摘もされてきた。しかし、青森県代表・青森山田も甲子園の上位進出の常連となり、岩手県の花巻東からは菊池雄星が輩出された。北海道、東北勢の奮闘に加え、雪の新潟県代表校・日本文理も昨夏の甲子園決勝戦を善戦。地元島民で構成された沖縄県代表・八重山商工(06年)が旋風を巻き起こしたように、地域格差は完全になくなった。
しかし、公立高校の躍進、地域格差の解消は強豪・有名校の地盤低下によるものではない。彼らは「どうやったら勝てるか」を真剣に考え、密度の濃い練習を追及してきた。
雪谷高校は野球部がグラウンドを占拠できる日は少ない。使用できたとしても、外野の一角で他の部活動が練習しているときもある。だが、工夫すれば練習の仕様はいくらでもある。たとえば、フリー打撃はバックネットに向かって打つ。また、甲子園出場を果たしたころの城東高校では捕手がトスを挙げ、それを打つ『変則シード打撃』も行われていた。飛距離は出来ないが、強い打球が内野に転がる。走者を付けるので内野守備陣は併殺プレーの練習にもなる。雨の日は校舎の登下校口(下駄箱)にゲージを運び、必死にバットを振っていた。
まだ雪の降る2月に青森山田の練習を取材したこともあるが、室内の限られたスペースでノックを受けていた。同時に、捕球の基本姿勢をチェックしていた。グラウンドを自由に使えないが、彼らには『基本』を見つめ直す時間が十分にあった。
関東圏の私立高校監督がこう言う。
「今の子供たちは長い時間、練習をさせると、集中力が途切れてしまう。いかに集中させ、効率の良い練習をするかも重要な指導テーマです。ある有望な中学生が私立高校に進んだものの、その子は伸び悩んでしまいました。監督に注意されると、フテ腐れたような態度を取るんです。『自分は天才だ、誘われたからこの学校に来てやったんだ』みたいな奢りがあったんですよ」
もちろん、明確な人生の目標を持って、強豪私立校に飛び込んだ球児も多い。一般論として、公立校は設備等の問題で練習時間が短い。強豪・私立校の練習時間は確かに長いが、「週1回のペースで休日を」という高野連の指導に従っている。「野球以外の趣味にも時間を割きたい」とする現代っ子の気質も理解できる。彼らは「公立校と強豪・私立校のどちらが自分に適しているのか」を冷静に選択しているようである。
強豪私立校のPL学園だが、その練習時間(全体練習)は、決して長くない。午後の授業が終了した16時ごろに練習が始まり、19時すぎには終わっている。ランニング、キャッチボール、打撃・守備練習等の一般的なメニューだけだ。合宿所での夕食後、部員たちは自主的に室内練習場に集まり、バットを振る。各位が全体練習で「足りない」と思ったメニューを補っていた。監督もコーチも、個人練習は強要していない。この個人練習の差がレギュラーと補欠を分けていた。
公立も私立も関係なく、部員たちが自主的に動いた学校は強い。春のセンバツとは、冬場に積み上げた基礎練習の成果と、夏に向けてチーム強化を目指している過程が交錯する大会でもある。(スポーツライター・美山和也)