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日本開催!世界バレー女子大会 闘将・中田久美監督、伝説のアツい“放送事故”とは

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TBSバレブー公式Twitterより https://twitter.com/TBSvolleyboo

 いよいよ9月29日、『2018世界バレー女子大会-JAPAN-』が開幕する。今年は日本が開催国とあって、全日本チーム「火の鳥NIPPON」への応援にも熱が入りそうだ。

 昨年3月、絶対的エースだった木村沙織が引退し、日本代表は不安なスタートを切った。しかし、昨年就任した中田久美監督の育成や采配が功を奏し、2017年8月に開催されたバレーボールアジア選手権女子大会では、10年ぶり4度目の優勝という素晴らしい結果を残した。女子バレーを牽引する闘将・中田監督とはどんな人物なのだろうか。

 中田は、当時最年少の15歳で全日本代表入り。翌年に強豪チーム「日立ベルフィーユ」に加入し、センタープレーヤーからセッターに転向してスタメン入り。日本リーグの全勝優勝に貢献して新人賞に輝いた。21歳のとき、右膝前十字じん帯を断裂する大怪我を負った。無理を押して出場した1988年ソウル五輪で金メダルを手にすることはできなかった。

 27歳で引退してからはモデルに転身し、翌年に結婚するも3年後に離婚。30代に入りいったん現役復帰し、再び引退を表明してからはスポーツキャスター、タレント業などで活躍した。41歳で再びバレーボールの世界へと戻ることを決意。単身イタリアに渡り、2年間コーチ修行に専念した。その経験が買われ、45歳で久光製薬スプリングスのコーチに就任。翌年には監督となり、1年目で同チームを6年ぶりのVプレミアリーグ優勝へと導いた。

 こうと決めたら実現するまで真っすぐに突き進む中田。その姿勢は、周囲に“恐い”というイメージを植え付けていた。そのイメージを決定づけた有名なエピソードがある。

 2004年6月、アテネ五輪代表権を得た代表選手とスポーツキャスターとして活動中だった中田が『すぽると!』(フジテレビ系・2016年4月終了)で共演した時のこと。選手たちは五輪出場の決定を受けたばかりで、終始お互いの顔を見合わせてキャッキャと浮かれモード。中田のイライラは徐々に募っていった。選手たちは相変わらずとはしゃぎ続け、生放送の枠の中で試合を振り返るVTRへと切り替わった直後、中田は「てめえらこの野郎!」と選手たちに激怒。その声をマイクが拾ってしまい、VTRとともに流れてしまった。映像がスタジオに戻ると、選手たちの様子は一変し静まり返っていたのだ。

 また、タレントとしても活動していた関係でテレビのトーク番組に出演する機会も多かった中田。前述した久光製薬スプリングス監督時代に『ナンだ!?』(テレビ朝日系・2007年9月終了)に出演。“チームをまとめるコツ”について尋ねられた中田は、しっかりと選手の意見を聞くことが大切だと強調。しかし、選手に指導して「でも…そうじゃなくて」と絶対に自分の非を認めない選手には「“でも”じゃねえんだよ!」と怒鳴りつけていたというエピソードを語っていた。とはいえ、こうした“恐い”イメージは選手を委縮させてしまわないのだろうか。

 「中田監督は、選手たちの特徴を膨大なデータで解析するような完璧主義でもありますが、それと同時に気遣いの人でもあると言われています。通常、監督は試合中にコートに近いところで選手たちに指示するものですが中田監督は立ち上がりません。これは選手を不安にさせないために意図的に行われているそうです。過去にテレビ番組の生放送で激怒したのも、スタッフへの気遣いなのかもしれません」(スポーツライター)

 日本バレーボール協会は東京五輪をみすえた長期計画のもと、中田を指揮官にすえた。バレーボール界からの信頼も厚いといえる。完璧主義ゆえに厳しい部分も想像に難くないが、だからこそ結果にも期待できそうだ。

 また、日本代表チームの状況はTwitter 上の「TBSバレブー」のアカウントからも確認することができる。7月28日の投稿でアメリカ遠征最後の強化試合は3-1で日本が勝利したと報告されており、世界選手権に向けて幸先の良いスタートを切ったようだ。

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