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世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第224回 続々・移民政策のトリレンマ

 本連載212回、214回で『移民政策のトリレンマ』について解説した。トリレンマとは、三者択一を迫られて窮地に追い込まれることを言う。よく聞くジレンマよりも厄介な状態だ。
 移民政策のトリレンマとは、「移民受け入れ」「安全な国家」「国民の自由」は、同時に二つまでしか成立させることができないという法則だ。三つを同時に実現することはできない。
◇自由な移民国家は、安全な国家を失う。
◇安全な移民国家では、国民の自由が制限される。
◇安全で自由な国家を維持したいならば、移民を受け入れてはならない。
 移民政策のトリレンマの法則からは、誰も逃れられない。

 5月22日、イギリス中部のマンチェスターでアメリカの歌手、アリアナ・グランデのコンサートが終了した直後、会場と鉄道駅をつなぐ公共スペースで自爆テロ事件が発生。22人が死亡、負傷者は59人に達した。犠牲者の多くは10代から20代の若者で、死者には8歳の女の子も含まれていた。
 メイ首相は緊急の治安対策会議を開き、事件は計画的テロだとの見方を示した。さらに、テロ警戒レベルを5段階の最高位である「危機的(テロの危険が差し迫っている)」に引き上げた。
 イギリスのテロ警戒レベルが「危機的」に引き上げられるのは、2007年6月以来のことである。今後は武装警察官、およびイギリス軍の兵士が警戒に当たることになる。イギリス国民は、「安全」のために「自由」をある程度失う事態になったわけだ。
 イギリスの警察当局は翌23日、多数の観客を巻き添えにして自爆した男について、サルマン・アベディ容疑者(22)であることを特定したと発表した。
 ちなみに、フランスは'15年の二度の大規模テロを受け、今も非常事態宣言下にある。'15年11月の同時多発テロ以降、フランスでは令状なしの家宅捜査が4000回以上も行われ、自宅軟禁が600人超を記録した。フランスは、移民政策を継続し、国家の安全を維持しようとしたため、国民の自由が制限されたままなのだ。
 「移民受け入れ」「国民の自由」「安全な国家」は、同時に二つまでしか実現できない。二つを追求すると、一つが失われる。移民政策のトリレンマからは逃れられない。

 筆者は5月26日、徳間書店から『今や世界5位「移民受け入れ大国」日本の末路 「移民政策のトリレンマ」が自由と安全を破壊する』を刊行した。
 本書は、移民受け入れにより、安全もしくは自由を失う羽目になった国々がテーマなわけだが、現在の欧州のトリレンマ問題は、主に二つある。

 一つ目は「歓迎されない難民・移民」の流入だ。難民受け入れに際し、テロリストや犯罪者が流入することは、現実問題として回避困難である。とはいえ、より重大なリスクが「ホーム・グロウン・テロリスト」なのではないだろうか。
 ホーム・グロウン・テロリストとは、国外の過激思想に共鳴した、国内出身者が独自にテロを引き起こす人々のことだ。
 今回のイギリスの事件では、自爆したサルマン・アベディ容疑者について、マンチェスター生まれの「リビア難民の息子」であると、英デイリー・テレグラフが報じている。すなわち、ホーム・グロウン・テロリストの可能性が濃厚なのだ。

 筆者は欧州の「多文化主義」が、逆に社会から孤立した移民の子供たちを増発させてしまい、ホーム・グロウン・テロリズムの苗床になっているのではないかと睨んでいる。何しろ、多文化主義の下では、移民の子供たちであっても移民先の言葉をしゃべることを強要されず、「祖国の言葉」で教育を受ける「権利」があるとされている。
 欧州は1970年代から80年代にかけ、移民を自国に「同化しない」タイプの移民政策を採用してしまった。移民の祖国の文化を尊重し、自国の文化に同化することを避け、多様な文化の維持を容認する。すなわち「多文化主義」である。
 多文化主義の原則は、人種差別を禁じる法律の制定に加え、移民の子孫に対し、祖国の言葉による教育機会を保障(いわゆる多文化教育)。その他にも、公費によるイスラム教の学校設立など、さまざまな政策に影響を与えた。欧州連合もまた、多文化主義による政策を掲げ、移民が各国に「同化しない」状況は続いた。
 結果的に、移民の失業率は上昇し、犯罪増加に結び付いた。

 改めて考えてみると、欧州の多文化主義は「移民」に対しても残酷な制度に思える。何しろ、その国の言葉を話すことを“強制”されない。別の言い方をすると、その国の言葉を話すことができないとなると、真っ当な社会生活を営むことは不可能に近い。
 さらに、移民の子孫まで「その国の言葉」を使うことを強制されないわけである。当たり前だが、先進国において高等教育は「その国の言葉」によって行われる。
 その国の言葉を話せない、理解できないということは、移民の子孫が高等教育を受ける機会をつぶすという意味を持つ。つまりは、多文化主義は外国に移民した本人はもちろんのこと、彼ら彼女らの子供たちにも、高等教育を受け、付加価値の高い職に就く道をふさいでしまうという話でもあるのだ。
 移民先の言葉を流暢にしゃべれないのでは、まともな就職先もない。さらに、社会と途絶した彼らの鬱屈としたルサンチマンの思い(憤りの感情)が、ホーム・グロウン・テロリストを作り出しているように思えてならないのだ。

 人権、寛容、多文化共生。言葉は確かに美しい。
 とはいえ、現実には多文化主義は移民たちに対し、移民先の国に適応し、幸福な人生を送るチャンスを壊してしまうのである。移民先の国の言葉をしゃべれず、社会に順応することがない若者たちが犯罪に走るケースも、それはもちろん増えてくるだろう。

 イギリスのテロ事件の全容は、これから解明されることになるだろうが、いずれにせよ、わが国がこのまま移民国家の道を進んでいくと、やがては「安全な国家」もしくは「国民の自由」のいずれか、あるいは双方を失う羽目になるという「事実」を、日本国民は知らなければならない。
 安全で自由な国家を望むならば、日本を移民国家化してはならないのだ。

みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。

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