1人は、桂文枝の9番目の弟子の桂三金だ。体重120キロ超えの三金は、「百貫デブ」の自虐ネタで笑いを取る一方、師匠譲りの新作落語で人気を得たが、11月9日、自宅で突然倒れ、脳幹出血のため搬送先の病院で急死。48歳だった。
「見かけの割にはとにかくマメな人で、天満天神繁昌亭のような大きな舞台だけやなく、小さな落語会や勉強会も大事に、数多くやってました。新作をやるはなし家というのは、オリジナルが中心の人が多いのですが、彼の場合は師匠の作品を受け継いで演じるスタンスだったんですよ。“新作を古典に”という気持ちがあったんでしょう。25年という区切りの年を迎え、弟子も取って、さあこれからというときだけに残念ですね」(演芸ライター)
三金が亡くなった2日後、今度はベテラン漫才コンビ『Wヤング』の平川幸男が、病気で大阪市内の病院で息を引き取った。78歳。
平川は、1964年に中田治雄と漫才コンビ『Wヤング』を結成し、ダジャレの連発や、テンポのいい掛け合い漫才で一世を風靡。全盛時には『ツービート』も一目置くほどで、75年と78年には上方漫才大賞を受賞している。
しかし、79年に相方の中田治雄が自殺。その後は活動を休止していたが、新たに佐藤武志とコンビを組み、2代目『Wヤング』として活動を再開していた。
「中田さんの自殺は暴力団がらみ。当時の吉本芸人の影の部分がうかがえるような話で、これが今なら相方もろともアウトです。そのピンチを、よく乗り越えたと思います」(放送作家)
平川は、ベテラン漫才師が少なくなった今の吉本興業では重鎮と言うべき存在だった。近年は「夢だった」という歌手としても精力的に活動していた。しかし、昨年末から体調を崩してしまい『Wヤング』の解散を決意。その発表直前の訃報だった。
優秀な人材だっただけに、吉本興業にとって深い痛手となった。