山一の苦境時、政・官・財界の一部からは「『日銀特融』と言えど公的資金の投入、国民の税金、一民間会社を救済することには大いに疑念がある。ハード・ランディング(強行着陸)で自己責任を貫徹させるべき。ソフト・ランディング(軟着陸)は暴挙である」との声が出ていたが、結果的には田中の先見力に満ちた大英断に軍配が上がったということだった。
そこで、田中のこうした「発想」の根源とはどういうものかについて、ここで見てみることにする。田中自身は、次のように語っている。
「私は土建業をやっていた当時、設計図を引くときはいつも初めからブッ書き、実線を引いてしまう。よく昔の書家の名人が木の看板に向かうとき、一気に書いてしまって、もし下の方に木が余ってしまったらその部分を切ってしまうという話があるが、私もまったくそれ式だ。まあ“ガリバー的発想”ということだ。物事を常に俯瞰的、鳥瞰的に見る。苦しい財政の中でも、頭を絞れば財源はいくらでも見つかるということです。
道路問題一つ取っても、専門家はいろいろ言うが結論はなかなか出ないね。簡単なことです。道路がどれだけの広さが必要かをはじき出すには、実際に車やオートバイを置いてみりゃいい。下水道分を取ってみりゃいいことだ。地価にしても同じ。建物を2階建てから6階建てにすれば、地価は3分の1に下がる。10階建てなら5分の1に下がる。簡単なことです。どんな本を読み、議論してもダメだ。一番の早道は何か。それが分かっていない。“発想の転換”ということだ。逆に考えてみればいいんです」
この地価の話、田中の40年ほど前のそれだが、今から10年ほど前にようやく国交省がこの田中の発想に“追随”、都市の地価高騰問題から「容積率」の緩和に踏み切ったものだった。
また、田中の地元・新潟の豪雪問題でも、単に雪を厄介者扱いするのではなく、豊富な水資源、すなわち財産であるという発想で捉えたり、大蔵省に道路財源がないとなれば高速道路を受益者負担で有料化、あるいは自動車重量税(トン税)を取ればいいなど、「発想の転換」をポンポンと出しまくったものだ。こうしたことも、名にし負う大蔵官僚が田中に“脱帽”したゆえんでもあった。
さらには、かつての田中派議員によるこんな田中の「逆転の発想」エピソードが残っている。
「特に、なぜ若い官僚が田中先生の発想を学ぼうとしたかですね。皆、先生のもとに寄って来る。例えば、先生は『日本にはゴルフ場が多過ぎる』という批判が出れば、『何を言うか。山を削ってゴルフ場にしてあれば、万一、国家に何が起こってもすぐ畑にできるじゃないか。山のままで、すぐイモを植えることができるかだ。ゴルフ場は決してムダではない』とくる。あるいは、浅間山の頂上に煙が昇っているのを見つけると、『あの山のドテッ腹にトンネルを掘ればいい。必ず熱いところにブチ当たる。その熱を利用して地熱発電をやる』と言う。こうした発想は、とても役人にはできないのです」
行政改革もまた、同じ発想である。歴代の内閣は根本策を取れず、弥縫策(一時逃れ)でお茶を濁してきたが、これも40年以上前に田中は言っている。
「例えば、行政機構を本当に改革するというのなら、行政責任の確立が不可避となる。まず、自民党や役所の上の方で大きな方針や具体的な対策を決めるんだ。それを各行政機関の政策として採用させる。もし、行政機関の方で反対と言うなら、『じゃあ対案を持って来い』と指導すればいい。そして、成果を持って来させ、その取捨選択をするといったようにすれば役人の数は今の10分の1で済む。一方で、役所の明確な責任体制をつくるためには公務員の総定数を今の半分に減らし、逆に、局長を今の3倍、5倍に増やすのがいい。人件費は抑制され、局長の数が増えるのだから役人も喜ぶ。同時に、責任感も抱かざるを得ないということになる」
こうした田中の一連の発想を見ると、いかなる場合でも物事を俯瞰的に見た上で、まずプラス要素がマイナス要素より多いかを考える。プラス要素が少しでも多いと判断した場合は決断、すなわちゴー。逆にマイナス要素が多い場合は懸案への取り組みを果断にストップする、というのが大きな特徴と言えた。
(以下、次号)
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。