神社へ参拝した時に、綺麗に磨かれた銅鏡が、拝殿の奥の祭壇に置かれている姿を拝見したことがある。何故、鏡が神社に祭られているのか、不思議に思われた方も少なくないのではないだろうか。鏡の持つ力について探って行きたいと思う。
古墳時代、当時は銅鏡が大陸から持ち込まれ、当時の豪族など有力者達によって所有された。当時は服飾品としての用途の他にも、悪霊を寄せ付けないという信仰があったと言われている。また、有力者の墓には死亡した有力者と共に銅鏡が埋葬された。その理由には、銅鏡には死後もこの被葬者を守る力があると信じられていたからである。
日本神話の中に、天照大神が洞窟内に隠れてしまうという「天岩戸隠れ」という有名な話がある。天照大神の弟神である素盞鳴尊(すさのおのみこと)との確執から、天照大神は天岩戸と呼ばれる洞窟に身を隠し、表には大きな石を置いて洞窟を塞いだ。天照大神は太陽の化身であり、その為に地上から太陽の光が消えてしまい、地上は暗黒の世界となってしまったという。
その後、神々は会議を開き、再び太陽の光を戻すために、天照大神を呼び戻す計画を立てた。その時、石疑姥神(いしこりどめのみこと)が直径46センチ前後の巨大な銅鏡を作り、洞窟の前に作られた舞台の上に置かれたという。
神々はその洞窟の前で宴を開いた。洞窟内で篭っていた天照大神をおびきだすために最後に出たのが天鈿女神(あめのうずめのみこと)である。この女神は舞台の上で舞い踊った。神々の大きな歓声に興味を持った天照大神が入り口の石をどかしてその光景を伺おうとしたそのとき、天手力男神(あめのたぢからおのみこと)が天照大神の腕を掴んで、天照大神を洞窟内から強引に引きずり出したという。
その時、石疑姥神によって作られた銅鏡が、後に八咫鏡(やたのかがみ)と言われ、天皇家の三種の神器の一つとされた。以来宝物として、伊勢神宮に大切に保管されてきた。
また、天孫降臨の際に、大国主命の国譲りの場に降りてきた神は天照大神ではなく、孫の邇邇芸尊(ににぎのみこと)であった。そのとき邇邇芸尊が降臨の際に、天照大神から自分の身代わりとして持たされたのが八咫鏡であったという。
その後鏡は太陽神の化身として、神宝や御神体とされて神社に祭られるようになったという。現在でも鏡は多くの信仰の対象となっており、神社に収める銅鏡を製作する専門の鏡師が存在している。
(藤原真・山口敏太郎事務所)