桑名さんは、7月15日に大阪市内の自宅で脳幹出血により倒れて以来、意識不明のまま闘病生活を送っていた。10月26日未明に血圧が下がり、最後は肺炎を併発。104日目にして力尽き、ついに帰らぬ人となった。
「家族に看取られての安らかな最後でした。意識不明が長く続いていただけに、みんな覚悟はできていたようです。中でも『まるで一卵性双生児』といわれるぐらい仲の良かったハルちん(妹・桑名晴子)の健気な様子がなんとも不憫でした」(家族ぐるみの友人)
桑名さんにとって、今年はデビュー40周年の記念すべき年だった。倒れる直前の7月には、全国100カ所ツアーをスタートさせ、11月には記念のベストアルバムの発売が予定されていた。また、このツアーと並行して、少規模でのライブにも意欲を見せ、ライブハウスを中心に積極的に動き出した矢先の不幸だったのだ。
「40周年と言いますけどね、ホンマは桑名は積極的やなかったんですよ。でも、このままでは『桑名が単なる懐メロ歌手になる』と、親しい友人がみんなで協力して応援したんです。はじめは桑名も渋っていましたが、倒れる少し前には『オレ、この齢でやっと本気になってきた。小さいライブも100回ぐらいやるで』と言ってました」(別の友人)
性格は気さくに見えて、実は、わがままで寂しがり屋。ライブやコンサートの進め方もいたってマイペースで、いかにもロック・シンガーの性格だったという。
「倒れる少し前から始めた小さなライブも、客席がいっぱいじゃないと機嫌が悪い。でも最近は、正直、ちょっと忘れられた感じもあったでしょ。そやから僕らも集客には苦労しましたよ。その甲斐あって、桑名もノッてきて楽しみにしてたんです」(同)
寂しさを紛らわすように“正やん”は、リンカーンの霊柩車に乗り、御堂筋パレードの葬送で賑やかに旅立っていった。