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「時代」を彩った男と女・あの人は今 プロゴルファー西川哲さん

 プロゴルファーの西川哲は、12歳からゴルフを始めた。そして、プロゴルファーを目指してゴルフ場で研修生をしながら1年目でプロテストに合格した。

 西川の父親は芸能プロの会長で、母親は歌手の五月みどりである。そんなことから、ゴルフ界では異色の存在としてマスコミに取り上げられた。とくにプロ4年目の1991年の「マルマンオープン」では、尾崎健夫とのプレーオフを制してプロ入り初勝利を果たし、「ゴルフ界の新星」と称された。同年の「日本オープン」ではトップと1打差の3位タイに食い込み、順調なプロゴルファー生活を送っていた。
 翌92年の「ブリヂストーンオープン」では、倉本昌弘とのプレーオフに敗れてプロ入り2勝目を逃すも、その年の獲得賞金は5000万円を超えた。
 2勝目を狙った93年の「デサントクラシック」で優勝。そして、なんと言っても95年の「日経カップ 中村寅吉メモリアル」では、自己ベストとなる72H最小スコア269(19アンダー)を記録して3勝目を挙げ、トップゴルファーに名を連ねた。
 「師匠の青木功プロ仕込みのゴルフです。攻めのゴルフで若い頃はやっていた」と本人は語っている。妻はタレントの菊池桃子で、目下CMで大活躍。そして、兄は元歌手で芸能プロ社長の山田太郎。叔母は歌手の小松みどり。
 「父親が北海道静内で競走馬の繁殖とその育成をやっているので、兄(山田太郎)と一緒にそれを手伝っています」と言うだけあって、競馬についても西川は「少々うるさい持論がある」と競馬関係者から見られている。
 だがゴルフでは、02年以降優勝から見放され、予選を通過するのがやっとという状態だった。そして、05年と06年は1度も予選を通過できず、獲得賞金は0円になってしまった。
 そのため、西川は一時期「菊池桃子に食わしてもらっている」とまで言われたこともあった。

◎妻はタレント菊池桃子
 西川哲はプロゴルファーであり、日本キャディー協会の顧問でもある。そして競馬関係では、日本中央競馬会の役員も務めており、北海道静内で半世紀続く競走馬の繁殖と育成を行う牧場の副社長である。これが現在の仕事と役職である。
 06年、本格的にプロのためのコーチ(ティーチングプロ)に就任した。12歳からゴルフを始めており、さしずめ現在の石川遼の手本になった存在。
 「とにかく高校は卒業したい」と日体荏原高に入学、そして卒業したくらいだから、運動神経は抜群だった、と関係者は認めている。
 ゴルフ場で研修生として打ち込んだ。そこで青木功からテクニックなどを仕込まれ、そしてメキメキと腕を上げていった。「末恐ろしいプロになる」といわれたものだった。
 68年5月2日生まれ。妻の菊池桃子との間に2人の子どもをもうけた。叔母の小松みどりは、母・五月みどりの妹。そして父と兄は芸能プロの会長と社長という芸能一家で育った。

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