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名車『パジェロ』生産終了はメーカーの“日本市場離れ”の始まりだ

 パジェロ人気を支えたのは『パリダカ』を始めとするモータースポーツでの活躍だった。世界一過酷なラリーといわれるダカールラリーに発売翌年の1983年から参戦、7大会連続を含む通算12回の総合優勝をおさめた。三菱自動車の看板車種「パジェロ」が今年4月に国内販売向けの生産を、今年の8月をもって終了することを発表した。

 1982年に発売されたパジェロは90年代のRVブームを牽引し、「ダカール・ラリー」を制したことでも知られる。

 名実ともに歴史に名を残す名車であるパジェロの歴史に、なぜ終止符が打たれたのか。

 「三菱自動車はその理由を、歩行者保護対策が原因だと説明しています」(自動車ライター)

 歩行者保護とは、自動車事故を起こした際に、歩行者がボンネットに頭部をぶつけて負傷するのを軽減する措置のことだ。

 「パジェロの販売台数は2018年で年間787台のみ。歩行者保護対策が2018年以降強化されることになったものの、三菱自動車はこの販売台数からでは対策費用を捻出できないと判断したようです」(同)

 しかし、某自動車評論家によると「それは言い訳にすぎない」と苦笑する。

 「4月にレクサス初のミニバン『レクサスLM300h』が公開されましたが、場所は上海モーターショーだった上に、日本市場には導入しないと発表されました。このことからも、三菱自動車を含む国内メーカーは、日本市場を見限り始めているのは明白です」

 つまり、メーカーは“日本市場は儲からない”と認識しているのだ。日本市場が儲からない原因は、国土交通省をはじめとした日本政府と、自動車メーカーとの折り合いの悪さにある。

 「日本政府は、東京オリンピックが開催された1964年頃に出来上がった自動車に関する法律や規格を変えようとしません。一方で、国際基準を中途半端に取り入れメーカーに負担をかけています。この副作用として日本市場のガラパゴス化が進み、自動車の新車販売の半数近くは儲けが少ない軽自動車となってしまったのです」(同)

 名車・パジェロの販売終了は、ガラパゴス化したことによってメーカーの“日本市場離れ”が起きているシグナルだったようだ。

 なお、海外向けのパジェロ、『パジェロスポーツ』は引き続き販売が継続される。

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