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古文書から紐解く巨大地震発生デー 第3弾 九州地方の異変と長野震度5強

 熊本藩の地誌『肥後国志』の十四巻には、次のような一節がある。
 「卯の刻(午前6時)より大地震い、午の刻(正午)にいたり、城楼崩壊す」
 1619年、現在の熊本県八代市を震源としたM6とされる地震が襲い、同市にあった麦島城は何度となく襲いかかる激しい揺れのため、6時間後のお昼頃には、櫓などが崩壊してしまったという。まるで、昨年4月に発生し、熊本城を崩落させた熊本地震を思い起こさせる様だ。

 さらに当時の地震は、熊本県のみならず、阿蘇山を越え大分県にも襲いかかっている。この時、大分県(豊後)の一部(竹田)を治めていた岡藩中川家の『中川史料集』によれば、地震発生当日の様子について、「岡大地震御城中所々破損」とある。竹田の岡城も被害を受けていたということだ。
 「上益城郡益城町辺りを震源とした昨年の熊本地震の規模は、一度目がM6.5、二度目がM7.3。その大きな揺れは大分県に広がり、震度5強を記録している。これは専門家の間で中央構造線に沿ったものとされ、状況が約400前とそっくりなのです。さらに全国に目を広げれば、東北地方では1611年、青森県、岩手県、宮城県を中心に襲った慶長三陸地震が発生して大津波による被害が出たとされ、その8年後に熊本での大地震が起きている。東日本大震災後の5年後に熊本地震が発生している流れと似ている点も不気味です」(サイエンスライター)

 中央構造線とは、九州から関東へと日本列島を貫く大断層だ。
 6月25日午前7時2分頃、長野県南部を震源とする地震(推定M5.6)が発生し、同県の王滝村、木曽町で震度5強を観測し、その後も余震が続いた。
 「気象庁では『直接的な関係はない』としているが、この地震がまさに中央構造線付近で起きた地震で、関連性を指摘する専門家も多い。つまり、同じく中央構造線上で起きた熊本地震との連鎖性も否定はできないのです」(同)

 今年5月以降、大分県豊後大野市では大規模な地割れが発見され、時に1時間で2センチ以上亀裂が拡大する事態が起きた。この地域も、まさに中央構造線上に当たるため、専門家の間でも様々な憶測を呼んでいるのだ。
 これまでに多くの地震や火山噴火を予測し的中させている、琉球大理学部名誉教授の木村政昭氏もこう言う。
 「地割れが起きたところが問題です。昨年の熊本地震とも関係があり、中央構造線が影響を受けたことは間違いありません。熊本は昨年の大地震でストレスが取れましたが、逆に言えば、刺激を受けた中央構造線が動く可能性もあります」

 6月20日には、大分県、愛媛県に挟まれた豊後水道を震源とするM5.0が発生し、大分県佐伯市で震度5強、九州と四国で震度1〜4の揺れを観測している。気象庁では「揺れの強かった地域では今後1週間程度、最大震度5強程度の地震に注意が必要」とした上で、地震の仕組みについて「陸側プレートの下に沈み込む海側プレートの内部で発生した地震で、活断層による熊本地震とはタイプが異なる」と説明している。
 地震学が専門で武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏は、この時の地震について以下のように警鐘を鳴らす。
 「震源の近くでフィリピン海プレートが潜り込んでいるし、中央構造線にも近い。どちらが影響しているか微妙な位置なんです。言えることは、地下42キロの深い場所で起きたため、幸いにして大きな被害は出なかった。もっと浅ければ、津波が発生していた可能性もあるし、何と言っても伊方原発(愛媛県)に甚大な被害をもたらしていたかもしれないということです」
 この伊方原発を巡っては、'96年、高知大学などの研究グループによる中央構造線の調査により、約6キロの距離に2本の活断層があることが判明している。原発付近では、約2000年おきにM7〜8クラスの地震が起きるとされ、調査を行った高知大学の岡村眞客員教授は、M8の地震が起きた場合、原発を震度7の揺れが襲うと指摘。安全審査が不十分として、地元住民が原発運転差し止めを求め提訴し、現在も係争中だ。

 400年前の熊本地震に話を戻せば、中央構造線に沿って地震が連続して起きていることが分かる。
 まず、1596年9月1日に愛媛県で発生した慶長伊予地震(推定M7前後)が、中央構造線上の川上断層セグメントと呼ばれる部分で発生。さらに、その3日後、愛媛県伊方町の佐多岬から豊予海峡を挟んで対岸の大分県で、慶長豊後地震(推定M7.0)が発生している。そして、その翌日の9月5日、今度は震源を一気に京都に移し、慶長伏見地震(M7.0)が起きている。これらはすべて関連性があるとされ、「慶長の連動地震」とも呼ばれている。
 800人余りの死者を出したとされる慶長豊後地震の際、布教活動のため現地にいた宣教師のルイス・フロイスは、『イエズス会日本通信』で「ある夜突然、波が二度三度と、非常なざわめきと轟音をもって岸辺を洗い、4〜5メートル以上の高さで打ち寄せた」としており、別府湾にあった瓜生島と久光島と呼ばれる2島は、この地震により沈んだと伝えられている。フロイスは被害の凄まじさをこうも綴っている。「地獄のような深淵は、男も女も子供も雄牛も家もその他いっさいのものを一緒に奪い去り、あらゆるものが海に変わったように思われた」。
 一方の慶長伏見地震においては、京都や堺で死者数が1000人を超えたと伝えられ、伏見城内では600人以上が圧死したとされる。当時の様子をイエズス会士ジアン・クラッセが記した『日本西教史』によれば、難を逃れた豊臣秀吉は、城中に残った台所で一晩を過ごし、翌朝1キロ北東にある山に仮小屋を建て、しばらくそこに籠ったという。
 いずれにせよ、中央構造線上での地震は、今も昔も変わらず巨大地震を誘発する危険を孕んでいるということだ。

 前出の島村氏が続ける。
 「昨年の熊本地震によって中央構造線が刺激され、活性化した可能性もあります。昨年10月には阿蘇山が爆発的噴火を起こし、今年5月にも熊本で震度4の余震を記録している。そして、大野市の地割れ。20日の地震の場合は、南海トラフ絡みとも中央構造線絡みとも取れるが、今後、予想だにしない大地震が発生するかもしれません」

 中央構造線を考えれば、当然、阿蘇山の噴火も無視はできない。
 熊本県上益城郡の厳島神社の神主だった渡邊玄察は、1632年から1701年までの約70年間にわたる年代記を書いているが、その中には阿蘇山の噴煙の様子も書かれている。
 「それによれば、1662年は6月に京都に甚大な被害を出した寛文近江・若狭地震、9月に日向灘沖を震源とした地震が発生。さらに10月、宮崎県や鹿児島県の大隅半島に被害が及んだ外所地震の際に阿蘇山が噴煙を上げ、1691年に比較的大きな噴火をしている流れが分かる。ここでもやはり、中央構造線上での連鎖の可能性が見受けられるのです」(前出・サイエンスライター)

 阿蘇山で最も恐ろしいのが、破局噴火とも呼ばれるカルデラ噴火だ。カルデラとは直径2キロ以上の火山活動によってできた、すり鉢状の窪地を指し、阿蘇カルデラの大きさは南北25キロ、東西18キロに及ぶ。このような火山では、地下に溜まったマグマが一気に噴き出し、地形をも変える大噴火を起こす可能性がある。
 「阿蘇山では、約30万年前から9万年前までの間に、計4回の巨大カルデラ噴火を起こしているとされます。特に9万年前の噴火は日本列島で起きたカルデラ噴火の中でも最大級のものとされ、放出されたマグマは富士山の宝永大噴火(1707年)の1000回分にあたるといい、スケールがまったく違う。現代に被害を当てはめれば、降灰によって広範囲にわたりライフラインはすべてストップ、人体にも深刻な影響を及ぼし、森林も壊滅して回復には200年かかるという予測もある。昨今は富士山の噴火ばかりが注目されがちですが、九州の異変、そして、中央構造線の存在を考えれば、何が起きてもおかしくはない状況なのです」(同)

 9万年前の阿蘇山カルデラ噴火では、火砕流が四国にまで及んだとされる。その火砕流も数百度の超高温を保ったまま、時速100キロを超えるスピードで流れるというから、ひとたまりもない。
 「直近で日本列島において発生したカルデラ噴火は、約7300年前に薩摩半島の南約50キロの海底で起きた鬼界カルデラ噴火。これにより九州南部の縄文文化は壊滅し、別の文化を持つ縄文人が入ってきたことが、出土する土器の種類により判明している。それほどの被害が出ていることは分かってはいても、7300年前に起こったことだけに対策も立てようがない。しかも、通常の噴火と異なり前兆現象のデータもまったくないため、直前になっても予測することができないのです」(同)

 昨年から今年にかけ、神戸大学海洋底調査センターが調査した結果、鬼海カルデラ内に直径約10キロの溶岩ドームを確認、今後、これが成長していくかどうかを調べる状況だという。
 「同センター長の巽好幸教授によれば、日本列島で今後100年間に巨大カルデラ噴火が起こる確率は約1%。しかし、あの阪神・淡路大震災発生前日における今後30年間に発生する確率も、同程度でした。様々な巨大地震や噴火の発生確率が出されていますが、日本に住む限り、それらがいつ起きるか分からないということです」(同)

 九州地方の異変は今後、どのような影響を及ぼすのか。

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