彼女によると、ある日、バレーボールの授業を見学していた時、転がってきたボールをキャッチすると、数十人の男性グループが突然、騒ぎ出したという。不思議に思った神志那が耳を澄ますと、ある男子は「あのボールになりてぇ!」と大興奮。さらに別の男子は「俺、あの娘の靴下になりてぇ!」と言い、また別の男子は「俺は、あの娘が乗ってる自転車のサドルになりてぇ!」と絶叫。
このように“サドルになりたい”とまで思わせるほど男達を魅了する神志那の“モテ力”は、凄まじいものであるため、通常のアプローチで交流を深めようとしても、相手にされることは難しい。そこで彼女を落とすためには、まずサドルを監視することから始めよう。
世の男性は大半が神志那のサドルになりたいという願望を持っているものの、実際に人間が物へと生まれ変わることは不可能。そのことに気がついたとき、一部の男性はサドルを奪うという行動に出る可能性が高い。つまり彼女のサドルはある日、ブロッコリーとすり変えられ、神志那は自転車の前で呆然と立ちつくすことになるだろう。(サドルがなければブロッコリーでいいという概念は、2011年東大事件以降、急速に世の中へ広まった)
その時がチャンス。あらかじめ色々なお粉を混ぜた熱湯入りのお鍋を手に持ちながらスタンバイし、彼女がブロッコリーと対面した時点で「あの〜、今、具がないんでぇぇぇ、このブロォォ、入れさせてもらっていいっすか〜?」と尋ねよう。彼女も突然、サドルがブロッコリーへと変わっていたことで思考がうまく回っておらず、流れに身を任せるしかなくなり、鍋パーリーピーポー化を防げなくなる。
あとはCMの武藤十夢よろしくパーリーピーポーダンスを一緒に朝まで踊りながら、ブロッコリーをポンポン鍋に入れていけば、そのうち頭がスパークし、我々がブロッコリーと呼んでいるものは、所詮、先人が勝手に名付けただけに過ぎず、よく見ればブロッコリーは野菜ではなく、凝縮された森でしかないことに気がつくはず。そうすれば、意識はその深い深いブロッコリーの森の中に吸い込まれていき、こちらの意識と神志那の意識はいつまでも思念体として、ブロッコリーの中でグルグルと渦巻きながら幸せに暮らしていくことになるだろう。これがいわゆる、パーリーピーポーの成れ果てである。
(文・柴田慕伊)