と言ったのは、20世紀前半、イギリスで活躍した作家・サマセット・モームだった。美人というのはともすれば気位が高く、チヤホヤされて亭主を大事にしないこともあるから、頭のいい男は近寄らないものだとした。頭のワルイ男は美人を手に入れ得意になるが、あとで後悔するものだと“警告”を発しているのである。
しかし、大作家もときに“予測”がはずれることがある。それが、吉田茂退陣後、首相の座に就いた鳩山一郎の妻・薫子であった。若くして目鼻立ちの揃った美人の誉れ高く、そのうえ飛び切りの才女、すなわち才色兼備を絵に描いたような女性であった。なおかつ、夫に尽くすこと一時たりとも忘れずの、とりわけ政治家にとってはこれ以上ないピカ一の「天下の猛妻」として名をとどめている。やがては、名門・鳩山一族の“核”的存在にもなったのである。
一方、吉田から鳩山に政権が移る前、吉田内閣の第1次から第2次の間、つまり昭和22年5月から翌23年10月までの間には、短期ながら2人の首相がいた。
1人は片山哲。決断力不足から、「グズ哲」のアダ名があった。昭和22年4月の戦後第2回の総選挙で社会党が第1党になったことにより、社会党初代委員長として中道保守の2党の協力を得て連立内閣を組織、首相の座に就いた。しかし、クリスチャンとして人道主義者であった片山は、片手に「聖書」、一方に「六法全書」で新憲法の理想を実現しようとしたが、社会党内の右派と左派の対立の中で内閣維持のエネルギーを奪われ、当時、わが国唯一の地下資源であった石炭の国家管理、「炭鉱国家管理法」を成立させただけで退陣を余儀なくされた。
その妻は、菊枝。やはりクリスチャンで片山が学生時代から愛読していたトルストイの墓(注・当時のソ連)を、夫妻で訪れたこともある。やがて結婚生活50年の金婚式を祝うなど、「佳き夫婦」をまっとうしたものだった。
もう1人が芦田均。こちらは、「イエスマン芦田」と言われた。片山内閣総辞職後、民主党総裁として3党連立の首相となったが、片山同様、議会人として非力を暴露、加えて「昭電事件」など度重なる疑獄に見舞われたことで7カ月余でその座を追われ、吉田にまた政権を戻す役割を演じた。妻は、寿美。美人妻として聞こえ、外交官時代の芦田とは、当時、珍しいパリへ新婚旅行をしたというハイカラ女性でもあったのだった。
さて、鳩山薫子である。薫子は「鹿鳴館」華やかなりし頃の明治21年、藩祖・黒田長政率いる福岡藩の譜代藩士の血を引く家に生まれている。「黒田武士」の血を引く女性ということである。その父は貴族院議員、書記官長(注・いまの内閣官房長官)をやった寺田栄。薫子は13歳で母と死別。ために長女だったことにより、家事一切、着物の洗い張りから仕立て、なんでもこなす少女時代を過ごしている。のちに、薫子は「あの頃の体験が、後年、政治家の妻として様々な困難に打ち克つ精神力をつくったと思っています」と語っている。単なる“お嬢さま”ではなかったのである。
そうした薫子を買ったのが、薫子の父・寺田とは親戚筋で鳩山一郎の父・和夫の妻の春子であった。春子は薫子を養女として迎え、改めて薫子に英語、数学、漢文などの学問、さらに作法を叩き込んだうえで、長男・一郎の妻としたのだった。鳩山家を知る古い政界関係者が、筆者にこんな話をしてくれたことがある。
「新婚時代の薫子夫人は、一度だけ一郎に手を上げられたことがある。一郎は毎日、風呂に入るのが日課だったが、ままお手伝いさんが水を入れず空焚きにしてしまい入れなかった。薫子夫人が『今日は入れませんから』と言うと、すかさず一郎の手が飛んできたのだ。夫人の偉いのは、自分が事前に電話一本かけて伝えておけばこんなことにはならなかったと自分を責め、以後、終生、一度として一郎を怒らせることがなかったということだった。この人をして、本当の意味での『女傑』ということになる」
「女傑」ぶりは、やがて鳩山が首相になったあとの“女の整理”での手腕にもみられた。鳩山には、首相になる前に赤坂の芸妓「おゆき」という愛人がいた。当時のことゆえ政治家に愛人がいても責められなかったが、首相となれば別である。案の定、首相となったばかりの鳩山は、国会で「愛人がいるというのはいかがなものか」と追及を受けた。
性格は開けっ広げで世事にうとく、そのうえいささかウエットな“お坊ちゃん”の鳩山はオロオロするばかりだったが、それを尻目に薫子はおゆきと“直談判”、これをきれいに別れさせてみせたのだった。
結果、政権はかろうじて持ち直した。薫子の鳩山家を守る“手綱さばき”の見事さは、こんなものだけではなかったのである。
=敬称略=
〈この項つづく〉
小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。