2017年度の流行語大賞となった忖度。国会などの政治の場で使われたことでうさん臭いイメージを持つ人も多いだろうが、本来は「相手の意図をくみ取って行動する」という気遣いや思いやりの表現であり、決してマイナスイメージの言葉ではない。
そんないい意味での忖度を求められるのが、プロレスの世界である。
「例えば試合中、相手がどんな技を仕掛けようとしているかを読み取った上で、逐一、しっかり受け身を取るのか、それともかわすのかなどと判断していかなければならない。これは試合自体の見栄えをよくするという意味もあるが、それに加えて自分が怪我をしないためにも必要なことなのです」(団体関係者)
相手の動きにへたに逆らって踏ん張ったりすれば、それが互いの故障につながることにもなる。
「アントニオ猪木の提唱した“風車の理論”とは、相手の攻撃を受け止めながら、それを逆に自らの力に変換して反撃していくというもので、一種の忖度と言えるのかもしれない」(同)
試合中のみならず、興行開催やマッチメークにおいても、やはり忖度は欠かせない。
「外国人選手をブッキングしたとき、最終的には日本陣営が勝つにしても、相手の商品価値を落とすような勝ち方はするべきではない。八百長うんぬんではなく、良質な興行を継続していくためには、必要不可欠な配慮なんです」(同)
相手に見せ場をつくらせないような勝ち方をしたら、それで勝った側の評価は上がるかもしれないが、負けた相手はその1回きりの使い捨てとなってしまう。しかし、互いの持ち味を活かしながらライバル関係をつくり上げていけば、その両者の闘いは長きにわたっての興行の目玉になる。
「相手のフィニッシュホールドを簡単に返す奴とか、3カウントが入った後、すぐに立ち上がって反撃してくる奴とかたまにいるけれど、そういうのは三流レスラー。相手の技が“効いていない”なんてことをアピールするよりも、相手の強さをファンに印象付けることの方が、それと闘う自分の格も上がるってことを理解できないんだね」(引退した元レスラー)
だが、忖度が行きすぎてしまうケースもある。その最たるものが団体トップ同士の対戦だ。
ファンからすれば明確な勝負をつけてもらいたいが、それぞれの選手とその所属団体からすれば、変な負け方をしたときには、飯の食い上げにもなりかねない大問題である。そのため、互いに“負けないこと”が最優先事項となってしまう。
「昔からダブルタイトルマッチとなれば、引き分けやノーコンテストなど不透明な決着が当たり前でした」(プロレスライター)
複数の試合が予定されていれば、互いに譲り合っての“行って来い”にもできるが、1回きりの特別試合となると、なおさら勝負付けは困難となる。
ハルク・ホーガンが特別参戦した1993年、新日本プロレス初の福岡ドーム大会で、グレート・ムタとの大一番が実現した。
WWFとWCWのトップ同士の一騎打ちという、アメリカでも見られないドリームマッチでありながら、結果はホーガンのクリーンフォール勝ちとなった。試合も互いに見せ場たっぷりの内容で、それだけ見ると過度な忖度とは無縁のようだが…。
「このときホーガンはWWF王座を所持していたものの、すでに退団への意向を固めており、水面下では再度の新日参戦やWCW移籍の話が進められていた。それでムタもここで負けても次があるという試算があったのでしょう」(同)
だからといって、この試合に忖度がなかったわけではない。
「まず試合序盤、ホーガンがアメリカでは見せないグラウンド技にこだわったことから、日本のファンへの多大な配慮がうかがえました。また、ムタも反則技をほとんど出さず、もちろん流血試合にもしなかった。毒霧もいつものように顔に向けてではなく、胸元に吹きかけていました。勝利後のパフォーマンスで、ホーガンの顔が緑色に染まっていたのでは格好がつかないですからね。あと、ホーガンのフィニッシュが、当時の定番だったレッグドロップ(日本ではギロチンドロップの名称)ではなく、アックスボンバーだったのも日本仕様と言えるでしょう」(同)
なお、この試合は大会のセミファイナルで行われ、メインを張ったのは、アントニオ猪木&藤波辰爾vs長州力&天龍源一郎のタッグマッチだった。
猪木と天龍の初絡みという話題性があったとはいえ、そこにも総帥の猪木に対する悪い意味での忖度が感じられなくもない。