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法廷で明らかになった元オウム・菊地直子被告を追い詰めた公安警察の執念

 5月8日から東京地裁で続いているオウム真理教の元信者・菊地直子被告(42)の裁判員裁判。菊地被告は'95年に発生した東京都庁郵便小包爆発事件で、爆薬の原料を運んだとして殺人幇助などの罪に問われている。
 初公判では「薬品は運んだが爆薬の原料とは知らなかった」と無罪を主張。5月30日からスタートした被告人質問でも「高校1年生までしか化学の勉強はしていない。実験にも興味はなく、化学の知識はなかった」などと述べ、改めて関与を否定している。

 それまで行われていた審理では、当時の教団幹部や爆発物を製造した女性元信者、また捜査や警備にあたった警察官らが証人出廷し、それぞれの立場から菊地被告について証言した。その中で、'95年当時、警視庁公安部公安一課の警部補だった男性が爆薬を作っていたアジトの張り込みの様子を語った。
 「アジトは東京・八王子のマンション一室で、部屋には外階段から出入りできました。情報提供により、アジトを監視できる場所を確保した捜査員らは、24時間態勢で張り込みを続け、出入りする人物の詳細を写真やメモに記録していたとのことです」(司法記者)

 「極左の集団とかでもこうしたことは数十回やったことがあった」と、常日頃からそうした地道な捜査を行ってきたという警部補。変装してマンションに出入りする菊地被告を数回確認し、監視場所から撮影を行いながら尾行を続けていたという。法廷の壁に掛けられた大型モニターには、その際に撮影された変装中の菊地被告の写真が映し出された。
 「通常、オウム信者は当時“サマナ服”と呼ばれる白装束を着ていたのですが、変装した菊地被告は、白いブラウスに肩にはセーラー服の襟のようにスカーフを掛け前で結び、タイトスカートに丸メガネ。まさにバブル時代の女子大生といったいでたちでした。同時に公開された捜査員のメモにも、彼女のことは『スカーフの女』と記されていました」(同)

 地下鉄サリン事件から19年−−捜査員の執念は報われるのか。

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