現在の日本はデフレだ。デフレの国では物価が下がり、金額ベースで見た国民の所得が減っていく。なにしろ、同じ製品を同じ数量販売したとしても、企業の売上は減ってしまうのだ。
無論、デフレ下でも売上を伸ばす企業がないわけではない。とはいえ、国民経済全体から見れば、デフレの国が「国民全体の所得」を堅調に増やしていくのは、ほぼ不可能に近い。
そして、税収とは「国民全体の所得」から政府に分配された所得を意味する。読者も給与所得から、所得税や住民税を支払っているだろう。政府が徴収する税金の「原資」は、常に所得なのである。
デフレで国民全体の所得が伸び悩むと、税収が減る。政府は税収不足を補うために、国債を発行せざるを得ない。税収不足を補うために発行される国債を、特例国債という。通称は「赤字国債」だ。
我が国の国債発行残高が増えている主因は、建設国債ではなく赤字国債(特例国債)なのだ。公共投資、公共事業の財源となる建設国債は、'05年以降、横ばいで推移している。
何しろ、橋本政権以降の日本政府は、延々と公共投資や公共事業の削減を続けていたのであるから、当然の話だ。
繰り返しになるが、赤字国債は「税収不足」を補うために発行される。
そして、我が国の税収が増えないのは、デフレで国民全体の所得が増えないためだ。
原資である国民の所得が縮小している状況で、政府が増収になるはずがない。
すなわち、日本政府の財政悪化の真因は「デフレ」なのだ。
ところが、税収不足により赤字国債の発行残高が積み上がると、財務省やマスコミ、さらには「財務省の息がかかった政治家」たちが、
「国の借金で破綻する! 政府は緊縮財政路線を採るべきだ。まずは公共投資や公共事業を削り取れ!」
と騒ぎ出すのである。ここで言う「財務省の息がかかった政治家」の代表が、野田佳彦「前」内閣総理大臣であることは、今さら言うまでもない。
マスコミや一部の政治家の論調に煽られ、政府が「ウソの財政問題」を理由に、公共投資、公共事業をやみくもに削減すると、どうなるだろうか。
公共投資や公共事業にしても、政府の支出には違いない。政府が支出を削ると、それだけ「カネの使い手が減った」という話になり、デフレが深刻化して物価が下がる。
デフレとは、主に国内の需要不足により発生するのだ。政府の公共事業、公共投資にしても、立派な「需要」の一部なのである。
政府自ら「需要」を削減することでデフレが深刻化すると、金額ベースで見た国民の所得が縮小し、「国民の所得を原資とする」税収が減る。
税収が減ると、赤字国債発行残高が積み上がり、財務省や一部の政治家が「国の借金が〜っ!」と叫びだし、政府が公共事業、公共投資をますます削減し、需要不足が深刻化し、国民の所得が縮小してしまい、税収が減り…。
ご理解頂けただろうか。このようにあまりにもバカバカしい悪循環を続けて来たのが、橋本政権以降の日本なのだ。そして、我が国がこの悪循環から抜けられない理由は、野田佳彦「前」総理に代表される政治家たちが、ありもしない「ウソの財政問題」を理由に、公共事業批判、公共投資批判を続けてきたためなのである。
ちなみに、本稿に掲載した「日本の国債種別発行残高の推移」のグラフが、マスコミに登場したことはない。
マスコミに登場するのは、あくまで「総額」のみのグラフである。建設国債と赤字国債を区別しないグラフを示し、識者と自称する連中が、
「ほら、こんなに『国の借金』が増えているでしょう。公共事業をやり過ぎたせいですよ」
などと出鱈目を吹聴するわけである。
ふざけるな、という話だ。本当に公共事業のやり過ぎで国債発行残高が積み上がっているならば、増えているのは建設国債でなければならない。だが、現実に増えているのは、税収不足を補うために発行される赤字国債だ。
この種の「ウソ」を放置しておく限り、我が国はデフレから脱却できない。デフレから脱却できないと、国民の所得が拡大することもなく、税収も減り続ける。税収が減ると、赤字国債発行残高が積み上がり、またもや「国の借金が〜っ!」という声が高まり、公共事業、公共投資が削られ事態が悪化する。
我が国は、いい加減にこのバカバカしい循環から抜けださなければならない。さもなければ、国民経済が取り返しがつかないほどに破壊されてしまう。
三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。