「『佐賀のがばいばあちゃん』で大成功したように見えますが、事務所の移籍は4回、コンビ解消が6回。副業失敗に参議院選挙落選と、しくじりの人生だから笑いが取れたんですよ」
と、収録を振り返り洋七は語っていたが、洋七を知るお笑い関係者はこう言う。
「親友であるビートたけしは『アイツは話を作るからな』とよく言っていましたからね。どの程度、真実なのかは分からない。しかし、番組では語っていませんでしたが、一番の“しくじり”は吉本興業を辞めたことですよ」
デビュー当時、吉本興業に所属していた洋七は1972年に『B&B』を結成。'80年代に入るとビートたけしの『ツービート』と並び漫才ブームを牽引した。しかし、たけしは“フライデー襲撃事件”で逮捕され芸能活動の謹慎に入り、マスコミの目を逃れ石垣島に身を隠した。
「洋七は当時、まだ忙しかった。それでも時間を作っては石垣島に行き“芸能界を辞めたい”と言うたけしを励ましていた。そこで2人の友情はさらに深まったんです」(同)
その後、たけしは復帰を果たし、お笑いのみならず映画監督としても活躍するようになった。しかし、一方の洋七は仕事が激減したため副業に手を出すようになったが、どれも鳴かず飛ばず。そんなところへ『佐賀のがばいばあちゃん』の大ヒットが到来し、講演会で全国を飛び回る日々が続くようになった。
「ところが、テレビ局からはオファーがなかったんです」と言うのは、前出のお笑い関係者。
「デビュー当時は吉本興業だった洋七ですが、漫才ブームで大ブレイクした時は吉本ではなく東京の事務所に所属していた。それが売れなくなり吉本に再び戻ったわけですが、『がばいばあちゃん』の印税を巡り上層部と揉めてしまった。結果、“契約切れ”の形で退社しましたが、事実上のクビ。その後、テレビ局からのオファーはなくなりました」
しかし、たけしが「喋りは今の若手でも敵う者はいない」と絶賛する洋七。今や再起に何の障害もない。