渡辺は吉本興業の芸人養成所であるNSCを卒業して間もなく、組んでいたコンビが解散してしまう。ピン芸人となった渡辺は、当時のマネージャーが強い営業をかけてくれたおかげで、新人はまず受けられない大きなお笑いオーディションへ参加するきっかけをつかむ。その場で、今やおなじみとなった「ビヨンセの動きモノマネ」が今田耕司らに評価され、テレビ出演を果たしブレイクにつながった。
「吉本興業はそれぞれのマネージャーが派閥を持ち、自らが抱える芸人たちに仕事を回す昔ながらの世界があります。当然、マネージャーの持つ個人的なコネクションや営業力に加え、この芸人を売りたいという熱意がものをいいます。『当時のマネージャーである加地さんと、オーディションがなかったら今はなかった』と渡辺が話す通り、人との出会いにめぐまれていたといえるでしょう」(芸能事務所関係者)
20代前半でブレイクを果たし、“かわいいデブ”としてコンスタントにテレビに出続ける渡辺は、芸人としては恵まれているように思える。ただ、彼女の人生は順風満帆であったわけではない。
「彼女は台湾人の母親を持つハーフなんです。日本語がほとんどできない母親のもとで台湾と日本を行き来しながら育ったため、20歳くらいまで日本語が苦手だったようですね。日常会話はできても、こみ入った話題や、アドリブ的なフリを向けられると片言になってしまい、そのことで芸に萎縮してしまうこともあったようです。ビヨンセのネタはセリフをともなわず、動きだけで笑わせるもの。いわば、喋りが苦手な短所を逆手に取ったものだといえますね」(前出・同)
『渡辺直美の女子高生オーディション!』は事務所に所属していない女子高生から未来のスターを発掘する番組である。苦労を重ねながらも、一度のオーディションで人生を変えた渡辺が番組オーガナイザーとなるのは、最適なキャスティングだと言えるだろう。