「たかじんさんは、東京では絶対仕事をしない“東京嫌い”として有名でしたが、愛情の裏返しで本当は東京を愛していたんです」(生前のたかじんさんを知るマスコミ関係者)
たかじんさんと30年来の親交があった元『B&B』の島田洋七氏も「ホンマは東京が好きやったんやと思いますわ」と証言する。
たかじんさんは'92年に東京のテレビ、ラジオ合わせて3本のレギュラー番組を持っていたが、番組のスタッフと意見が合わず衝突を繰り返し、約2年で撤退している。以来、東京を極力避け、関西での仕事にこだわったとされる。
「東京進出に失敗して以降、僕がたかじんの番組の企画書を『東京のテレビ局に持っていこうか』と話したら、たかじんは『お願いします』と言ったんです。本当に東京が嫌いだったら、僕にお願いなんかしませんよ」
と洋七氏は述懐する。
「たかじんと親しい雑誌記者の3人で、銀座のクラブを5軒ハシゴして飲んだことがある。僕だけじゃない。ビートたけしも、たかじんの大阪の番組でたけし軍団がお世話になったというんで、東京で接待した。たかじんが東京に来たのが土曜日だったことから、銀座のクラブはほとんど休日。たけしは休みのホステスたちをかき集めて、たかじんとカラオケを楽しんだ。いくら、たけしに招待されたからといっても筋金入りの東京嫌いならノコノコ来ませんよ」(洋七氏)
たかじんさん、洋七氏と銀座クラブを5軒ハシゴした前述の雑誌記者が続ける。
「アフターでたかじんさんが自己最高の60万枚を売り上げたヒット曲『東京』を歌ったんです。歌い終わった後に『この曲はワイが東京と決別した曲なんや』と寂しそうに漏らした言葉が、今でも忘れられません」
実は、心の底では東京を愛していた、たかじんさんに改めて合掌!