島田ヘッドの言う「いい経験」とは、先発マウンドに送られた新人・加賀繁(25)の粘投を指している。『負け投手』にはなったが、7回3分の2を投げ、自責点はわずか「1」。投球規定回数にも到達し、防御率ランキングでいきなり3位に躍り出た。
「横浜は僅差で競っていても、終盤で持ちこたえられないんです。もしくは、試合序盤で先発投手が釣瓶打ちに遇い、ワンサイドゲームになってしまう。横浜の負けパターンはこの2つのどちらかです」(在京球団スコアラー)
問題はグラウンド外でも起きていた。田代富夫・二軍監督(56=湘南シーレックス)の退団が発表された。田代二軍監督を知る中堅、若手選手もこの一報を聞くなり、「どうして!?」と報道陣に“逆取材”していた。この様相からして、田代二軍監督の退団は本当に知らなかったようである。
「来年は改革2年目。長年の田代監督の育成力は評価していますが、上(1軍)と下(2軍)を変えていかなければなりません」
球団側はそう発表した。
一部報道によれば、二軍改編を田代二軍監督に告げる際、「フロント入りしてほしい」なる言い方をし、本人が固辞したため、退団に至ったそうだ。関係者の1人が内部事情をこう説明する。
「フロント入りの要請を辞退した? 間違いではありませんけど…。田代さんは自分の処遇というか、どうなるかを分かっていたみたいで、最初から辞めるつもりだったと聞いています。球団幹部も田代さんが退団されるのを分かっていたと思います。ファンの反発を恐れ、慰留説得もしたようですが…」
田代二軍監督が球団の現体制への不信感を抱いたのは、昨季の今頃だという。当時といえば、大矢明彦・元監督の途中休養を受け、一軍指揮を代行していた。勝ち星こそ伸びなかったが、同監督代行を知る中堅、若手は「来年は、田代監督のもとで」と再起を誓っていた。しかし、フロントは尾花夫・現監督の招聘を水面下で進めていた。
「一軍監督になれなかったから、球団に不信感を抱いたのではありません。親会社から来た幹部は野球組織を分かっていないというか、選手の気持ちを逆撫でするような…」(球界関係者)
田代氏は二軍監督として踏み止まったが、フロント幹部との考え方の溝を埋めることはできず、今回の退団に至った。
前述の加賀のように、横浜には有望な若手も多い。今季の大敗が「いい経験」と化すか否かは今後次第だが、指導者のクビをすり替える前に、背広組も考え方を改める必要がありそうだ。