「アニメ版『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)がスタートするにあたり、さくらさんは脚本へ参加しました。さらに、上がってきた絵コンテに修正を加えたほか、声優にはアドリブを禁じ作品の世界観を作り上げていました。番組の代名詞ともいえるキートン山田のナレーションは、当初は予告編のみに使われていましたが、さくらさんが『この声が欲しかった』と本編にも抜擢しています」(サブカルチャーに詳しいフリーライター)
アニメ版『ちびまる子ちゃん』は1990年の1月から1992年の9月まで約2年半にわたって放送され一旦終了する。これは、さくらさんがアニメのクオリティを保てるのは3年と期限を区切っていたためだ。しかし、継続を望むファンの声が多く、1995年1月より現在まで続く第2期放送がスタートする。この時期にはさくらさんの新たな才能が注目され始めていた。
「エッセイですね。もともと漫画で展開していた世界を、文字に記すようになったのです。特に1994年に経験した妊娠や出産体験を綴った『そういうふうにできている』(新潮社)は話題になりました。自身が漫画家になるまでの来歴を綴った2005年刊行の『ひとりずもう』(小学館)は、のちに自らの手で漫画化されていますね」(前出・同)
このほか、ラジオパーソナリティー、作詞家、雑誌編集長と、さくらさんはマルチに活躍した。53歳という早すぎる死が惜しまれてならない。