彼にとってスライダーは伝家の宝刀と言っていいレベルのボールだ。サイヤング賞投票で2位になった2013年はスライダーが全投球の38%を占めていた。この年は277奪三振をマークしア・リーグの最多奪三振投手になったが、そのうちの178個はスライダーで奪ったものだった。トミージョン手術から復帰した今季も、7月下旬までは各試合17〜29%の頻度でスライダーを使っていた。
しかし、7月末頃からダルはスライダーを大幅に減らし、直球主体に転じた。それを象徴するのが、岩隈久志との投げ合いを制した8月30日のマリナーズ戦だ。
この試合、ダルは初回から150キロ台中頃の豪速球で押しまくるピッチングを見せ、三振と凡フライの山を築いた。スライダーを使用したのは3度だけで、豪速球が全投球の6割に達し、変化球はタイミングを外す目的とアイレベルを狂わす目的でカーブを20%くらい交えた程度だった。
この変化は、スライダーが威力を失ったからではない。ダルのスライダーは依然評価が高く、米国の野球データ会社やアナリストが行う球種評価で、トップレベルにランクされている。豪速球主体のピッチングに切り替えたのはフォーシーム(直球)の威力がスライダーのそれを凌ぐようになり、最近ではど真ん中に投げてもほとんど打たれなくなったからだ。
ダルの直球の威力には米国のスポーツメディアも注目していて、MLBコムに掲載された特集記事ではボールに以前よりずっと強いバックスピンがかかるようになったことが詳しく書かれていた。
「現在ダルビッシュのフォーシーム(直球)はスピン量が2485rpm(1分間の回転数)もある。これはメジャーでベスト10に入るレベルだ。そのおかげで今季はフォーシームの空振り率が31.7%もある。これはメジャーで2番目に高い数字だ」(マイク・ペトリエーロ記者)
トミージョン手術明けの年に直球の威力が格段にアップ−−これは奇跡に近いことだ。
メジャーリーグでは平均すると毎年30人くらいがトミージョン手術を受けている。そのうちの20〜30%の投手は以前より球速が増し、スピン量もアップする。最大の要因は、若い投手ほどリハビリで体幹が鍛えられるからだ。
日本人大リーガーでは、レッドソックスの田澤純一が手術後、以前より急速が4、5キロアップし、球威も格段に増した。
しかし、球速や球威がアップするのは、術後2年が経過したあたりからだ。術後1年ちょっとで復帰して、いきなり球速も球威も大幅アップしたというケースはほとんどない。
「ダルビッシュのケースは球史に残るレベルのトミージョン手術成功例だよ。この手術は24カ月で100%の状態(以前の状態)に戻るといわれているけど、ダルビッシュは17カ月で120%の状態になっているんだから」(スポーツ専門局の記者)
復帰1年目の球速アップは、通常のリハビリを超えた過酷なトレーニングに取り組んだ成果と言っていい。今やダルの全身の筋力、瞬発力は、メジャー屈指のレベルになっている。それを証明して見せたのが、8月25日のレッズ戦で見せたセンターバックスクリーンに飛び込むメジャー第1号本塁打だ。ダルは投手が打席に入らないパ・リーグ育ち。米国でも指名打者制を敷くア・リーグのチームでプレーしているので、これまで打席に入る機会はわずかしかなく、インターリーグのゲームで年に3〜5回あるだけだ。
そのわずかな機会に125メートルの特大アーチを放ったことは、パワーが著しくアップしていることを図らずも知らしめることになった。
それに加え、8月上旬にトレードで加入し、ダルの新しい女房役となったベテラン捕手ジョナサン・ルクロイが速球主体のリードをするキャッチャーで、直球をどんどん要求してくるので、ダルもテンポよく直球を投げられるという事情もあるようだ。
ダルがパワーピッチャーに大変身したことはポストシーズン進出が確実になったレンジャーズにとって、願ってもないニュースだ。レ軍はポストシーズンに左腕のコール・ハメルズとマーティン・ペレス、それにダルの3人ローテーションで臨むことになるが、ハメルズはポストシーズンがやや苦手で、昨年もディビジョンシリーズに2試合登板し1勝もできなかった。M・ペレスは防御率がリーグ平均以下で安定感にかける。頼れるのはダルだけなので、彼の大変身は願ってもない朗報なのだ。
ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は大リーグ関連の記事を各媒体に寄稿。日本人大リーガーにも愛読者が多い「メジャーリーグ選手名鑑2016」(廣済堂出版)が発売中。