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田中角栄「怒涛の戦後史」(21)元防衛大臣・田中直紀(上)

 かの田中角栄の一人娘、元外務大臣の田中真紀子の夫、角栄にとっては娘婿が、この田中直紀である。

 絶対権力者として怖いものなしの田中角栄だったが、「じゃじゃ馬」と言われた真紀子への向き合い方と、その結婚過程は、人生で最も冷や汗をかかされた場面と言ってよかった。

 田中とその妻・ハナとの間には、二人の子供ができた。昭和17(1942)年に長男・正法、その翌々年に長女・真紀子である。しかし、田中は自分の跡継ぎとして可愛がった正法が5歳で病死したため、田中家を継ぐ者として真紀子に期待することになる。

 しかし、真紀子はそれまでとは変わり、日本女子大附属中学を卒業するくらいから、父親からの“逃亡”を企て始めた。頭の回転がよく、感受性も人一倍強い真紀子は、父親が家庭を犠牲にして政治家生活に邁進することへの疑念、また、その間には父親の女性問題なども女の直感として知り、「政治は嫌だ」「父を許せない」という気持ちをつのらせていった。

 同大附属高校に進学後、「絶対反対」を主張する田中に米国ハイスクール留学を納得させたのも、こうした父親からの“逃亡”という意味があったのである。

 留学から帰国すると早稲田大学第一商学部に入学したが、真紀子はここで演劇活動に目覚めた。こうした生活の中では、当然、男性との交遊があり、田中としては心配のタネが尽きなかった。真紀子を早く結婚させ、落ち着かせたい田中が、自ら政財官界、新聞記者などから目ぼしい結婚相手を探したのもこの頃である。

 その中の一人に、鈴木直紀という人物が浮上した。時に、鈴木直紀は慶應義塾大学を卒業後、日本鋼管に入って6年目のサラリーマンだった。

 直紀の父親・鈴木直人は戦前の内務官僚で、戦後は全国区から参院議員となり、その後、郷里の福島から衆院議員に転じている。すなわち、吉田(茂)内閣時代から田中と直人は交流があった。

 そのうえで直人が亡くなったあと、直紀の姉の寿美子が新潟県出身者と結婚することになり、ここで田中角栄・ハナ夫妻が媒酌人を務めた。この媒酌人が縁になった形で、半年後、真紀子と直紀が結ばれることになったのである。
 田中は直紀に会うと、いっぺんで気に入った。直紀は体躯も大きく、性格もおっとりしており、「わがまま娘を受け止めてくれる人物」と映ったようだった。直紀もまた、真紀子を気に入っていた。

 ちなみに、ここで言う真紀子の「わがまま」とは、こういうことである。田中は、真紀子のことを「ケー人だ」と言ったことがある。「ケー人」とは田中による“造語”で、「潔癖な人」という意味である。自分自身の原理原則論から外れる者には徹底抗戦する、誰が何と言おうと頑として譲らないことを指している。ために、田中は「真紀子のヤツは女ながら荒っぽくてキツイぞ。ワシに似て、曲がったことの嫌いな“ケー人”だ」と口にしたのだった。

★難航する「婿養子」

 しかし、結婚は決まったものの、今度は田中と真紀子の間で問題が出た。この一人娘の結婚は、田中にとって“跡取り”の意味合いがあり、直紀には婿として田中姓を名乗ってもらいたかった。真紀子をすんなり鈴木家へ嫁に出すことに、納得できなかったゆえんである。

 鈴木家でも、直紀の母が「直紀は、やがて亡夫の跡を継いだ形で福島から政界へ出ることもあり得る。そのためにも、鈴木姓を捨てさせるわけにはいかない」と、田中家への婿養子となることに反対した。

 こうした中で、真紀子自身は「私は鈴木家に嫁ぐ。絶対に鈴木姓を名乗る」と言って「ケー人」ぶりを発揮し、田中は頭を抱えたのだった。そうした対立は、結婚式の直前まで続き、二人はギリギリまで話し合った。しかし、真紀子の答えは「それでも、私は嫁に行きます」であった。

 一方で、田中も“外堀”を埋めようとしていた。日本鋼管社長の赤坂武とは、ツーカーの仲である。赤坂の口から、婿養子を勧めてくれないかと頼んだのである。当時、田中は「日の出の勢いの幹事長」とされ、政治生活の中で最も脂が乗っていると言われていた。

 かつての幹事長番・政治部記者の述懐が残っている。

「日本鋼管には政界の二世クラスが何人か就職していた。外相をやった愛知揆一の女婿となり、のちに衆院議員になった愛知和男などもいた。ために、田中は赤坂社長に『田中姓を名乗ったらどうか。相手方は一人娘だ。やがて政界入りするときが来ても、決して損なことはないぞ』と、直紀に言ってくれるよう頼んだとされている。直紀自身は、赤坂社長と田中姓に反対する母親との間で、さすがに切羽詰まったそうです」

 残された“突破口”は、鈴木姓に固執する直紀の母を説得することだった。

 直紀の母は、結婚式当日の朝、式場で田中に会った。ここで直紀に田中姓を名乗らせるならと、ギリギリの“3条件”を提示したのだった。

 政争では連戦連勝、相手に譲ったことのない田中だったが、ここでは“敗色”が濃厚だった。言い分はすべて、のまざるを得なかったのである。
(本文中敬称略/この項つづく)

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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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