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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「スティーブ・ウィリアムス」日本マットに2つの転機をもたらした“殺人医師”

 急角度のデンジャラス・バックドロップは何度見ても思わず息をのむ衝撃度。荒っぽいファイトスタイルで、三冠ヘビー級王座や世界タッグ王座を獲得したスティーブ・ウィリアムス。彼が咽頭がんにより49歳の若さで亡くなってから、今年で10年になる。

※ ※ ※

 スティーブ・ウィリアムスは日本のプロレス界に2つの大きなターニングポイントをもたらしている。

 “歴代最強の外国人レスラー”というようなランキングでその名が上位に挙がることは少ないものの、日本のプロレス史という観点からすると実はかなり重要なキーマンなのだ。

 初来日は1986年7月の新日本プロレス。扱いにくいブルーザー・ブロディに代わる新たなエース外国人候補として期待されたが、同年10月、2度目の来日時に事件は起きた。

 東京・後楽園ホールでのアントニオ猪木とのシングルマッチ。試合開始のゴングと同時にハチャメチャに殴りかかっていったウィリアムスは、猪木をロープに振って正面から抱え上げると、スパイン・バスターの要領で背中からマットに叩き付けた。

 しかし、カバーに入ると猪木はピクリとも動かない。そのままカウント3で“秒殺”となる寸前に、慌ててウィリアムスは猪木を引きずり起こした。

 「演出でもなんでもない完全に猪木がフォール負けするタイミングで、これには場内も騒然となりました」(スポーツ紙記者)

 不運なことにこの試合はテレビ生中継。4日前に行われた『INOKI闘魂LIVE』における猪木vsレオン・スピンクス、前田日明vsドン・中矢・ニールセンの録画中継と併せての放送とあって、半ば放送事故ともいえそうな惨劇は広く全国のファンに届けられてしまった。

 なお、試合自体は猪木の勝利に終わったものの、放送時間の関係からか結末まで流されることなく、途中で前田vsニールセンの録画中継に切り替わっている。

「前田の鮮烈さに比べて、猪木は新顔のウィリアムスにKO負け寸前の体たらく。その後に放映されたスピンクス戦も凡戦に終わったことで、多くのファンに“世代交代”を強く印象付ける結果となりました」(同)

 実際に同年暮れのIWGPタッグリーグ戦では、藤波辰爾が猪木から初のフォール勝ち。猪木がトップの座から退いていくのは既定路線であったかもしれないが、ウィリアムス戦はその端緒としてファンに受け止められることとなった。

★全日への移籍が飛躍のきっかけ

 一方、ウィリアムス自身はというと、猪木失神の事態にうまく対処できなかったことから“危険でアドリブの利かない選手”として冷や飯を食わされることになり、その後、新日に参戦してきたクラッシャー・バンバン・ビガロやビッグバン・ベイダーよりも下位の格付けとされてしまう。

 そして1990年2月、新日のドーム大会に選手を貸し出してもらった返礼として、ウィリアムスは全日本プロレスへトレードされることになった。

「当初、全日におけるウィリアムスの扱いは、売り出し中だったテリー・ゴディのパートナー役。2人が組んだ“殺人魚雷コンビ”は最強タッグを連覇しましたが、主役はあくまでもゴディでした」(同)

 だが1993年、ゴディが内臓疾患(実際にはアルコールとステロイド剤の過剰摂取による一時心停止)により長期離脱したことで、ウィリアムスにシングル戦線でのチャンスが巡ってくる。

 三沢光晴の所持する三冠王座への挑戦権を懸けた小橋建太との一騎討ち。このときに放った急角度バックドロップ3連発のインパクトは絶大で、これ以降、全日における危険技の基準となった。言い換えれば、四天王プロレスのベースとなったのが、ウィリアムスのバックドロップだったのだ。

 本人がそのように意識したわけではなかろうが、結果的には“新日の世代交代”と“全日の四天王プロレス勃興”という2つのエポックに、ウィリアムスは大きく関わっているのだ。

 むろん単なる偶然というわけではなく、ウィリアムスにそうなるだけの裏付けがあったことを見すごしてはならない。アマチュア時代には、レスリングで大学選手権4連覇を果たした実力者で、ちなみに“ドクター・デス”の愛称は、その当時につけられたものだ。

 鼻骨を骨折したウィリアムスがアイスホッケーのマスクをかぶって練習していたところ、その異様な姿が、映画『13日の金曜日』のジェイソンを思わせたことで、観客からヤジが飛んだのが最初だったという。
 ちなみにここで言う“ドクター”とは、専門家とか達人といったニュアンスで、野茂英雄がメジャーリーグで“ドクターK”と呼ばれていたのに近い。つまりアイスホッケーマスク=ジェイソン=死をつかさどる者というような意味合いであり、日本での異名“殺人医師”は厳密には誤訳である。

スティーブ・ウィリアムス
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PROFILE●1960年5月14日〜2009年12月29日。アメリカ・コロラド州出身。
身長188㎝、体重123㎏。得意技/デンジャラス・バックドロップ、ドクター・ボム。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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