騒動のきっかけは写真週刊誌『FRIDAY』の創刊準備号(パイロット版)。それは悪名高き写真週刊誌ブームの幕開けを告げるスキャンダルでもあった。
倉田まり子は78年に『グラジュエイション』でデビュー、日本レコード大賞新人賞を受賞し、順風満帆のアイドル人生を歩むかに思えた。ところが80年代に入ると松田聖子、河合奈保子ら新世代の人気アイドルに押され、人気に陰りが出始める。そこから彼女の人生は岐路を迎える。
『FRIDAY』に載ったのは、彼女が話題の投資コンサルタント、中江滋樹とツーショットで肩を抱かれ並ぶ写真だった。アイドルとタニマチの記念写真と見れば、(中江の醜怪な容貌に目をつむれば)ごくありがちな構図だ。しかし雑誌掲載時、中江は証券取引法違反で告発され、投資家から集めた100億円もの資金を懐に入れ雲隠れを続けていた。
問題視されたのは倉田まり子がこの時期、目黒区の一等地に3階建ての豪邸を購入していたことだ。落ち目のアイドルが7000万円は下らないとされる豪邸を購入、背後に戦後最大の詐欺師といわれた指名手配犯がいる。
あまりに不自然な、汚れた背景を感じさせる構図である。マスコミはここ一番と倉田まり子の元へ殺到、中江に枕営業をかけ、愛人となった代償が豪邸だったのではないかと追求し、彼女の私生活を丸裸にした。なかには中江が自社のOLを「100万円でどうだ!」と札束を積んで口説いた逸話を載せ、醜い天神ヒゲの中江と可憐な倉田まり子の醜怪な肉体関係を妄想させた雑誌もある。
事件の結末は、税務署の調査で倉田側から7000万円の借用証が発見され、購入資金は借金だったと証明されて愛人疑惑は消えた。税務署の差し押さえで倉田は豪邸を失うが、最悪のスキャンダルだけは免れた。その後、騒動が沈静化して浮かび上がったのは、倉田のマネージャーが中江をうまく操縦して出資させ、所属事務所から独立しようとしていた事実だった。
スキャンダルは中江と倉田の接近で、独立計画からはずされたマネージャーのチクリから露呈したのである。シナリオに乗り、倉田のタレント生命を奪ったマスコミの罪は大きい。この事件はタレントの独立画策に対する報復制裁が、これほどキツイものだと思い知らされる、凄絶な芸能スキャンダルだった。