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2017年3月、テレビ朝日系で放送された『史上最高のプロレスラーランキング』。そのトップ20に真壁刀義がランキングされたことに、首をひねった昭和のファンは多いだろう。
「テレ朝が放送する新日本プロレスの現役トップ、棚橋弘至やオカダ・カズチカが下駄を履かされて上位にランクされるのはやむを得ないが、真壁なんてスイーツ大好きのバラエティータレントじゃないか」
「本家のブルーザー・ブロディがランク入りしてないのに、なんでモノマネの真壁が…」
ちまたではそういった声が多く聞こえ、18位のハルク・ホーガンと20位のアンドレ・ザ・ジャイアントに挟まれての19位という、並びの強烈さも違和感をいっそう際立たせてしまった。
だが、長らく新日を応援し続けてきたファンからすると、「真壁は当然のランクイン」「むしろ棚橋やオカダよりも上位でいい」との声もあるぐらいなのだ。
「新日の低迷期、いわゆる“冬の時代”を支えてきたのが棚橋と中邑(真輔)、そして真壁でした。中でも、対インディーのハードコア路線などで体を張ってきた真壁に対するファンの信頼は厚く、ヒールの立場でありながら高い支持を受けているのです」(プロレスライター)
そのあたりの事情を知らないと「強面のスイーツ好きとしてテレビに出て名前を上げた」と勘違いされそうだが、話は逆で「真壁の人気が高まったからこそテレビに呼ばれるようになった」というのが実際のところなのである。
時系列的には、2006年ごろからアパッチプロレス軍やゼロワンMAX、アメリカのTNAなどと抗争を繰り広げていた真壁が、2009年にG1クライマックスで初優勝し、2010年にIWGP王座を初戴冠、2012年に“スイーツ真壁”として日本テレビ系『スッキリ!!』に初登場という流れになる。
真壁は1996年の入門で、同期にはアマレスで全日本選手権を2度制した藤田和之がいた。一方の真壁は学生プロレス経由でアマ実績もないため、まったく期待されるような存在ではなく、長らく前座、中堅の座に甘んじていた。
天然パーマでゴツい顔面という容貌を活かしてヒールに活路を見いだそうとするも、’05年にアキレス腱を断絶。プロレス自体の人気が低迷していた時期ということもあり、一度は本気で引退を考えたという。
★G1の決勝戦が真壁コール一色
転機となったのは故障から復帰した2006年。当時、新日がエンタメプロレスのブランドとして打ち出していた「レッスル・ランド」に、“解き放たれたゴリラ”の異名で登場したことだった。ゴリラは真壁の外見に由来したものだが、そこからキングコングを想起して、ブルーザー・ブロディのごとく鎖をトレードマークとし、入場曲にもブロディの『移民の歌』を採用した。
エンタメのリングで演じるぶんには特に問題とはされなかったが、真壁はこれを通常の試合でも続けた。フィニッシュにはトップロープからのニードロップを使うようになり、その技名に“キングコング”と冠するようになると、一部ファンからは批判の声が上がり始める。
「背丈なども含めたスケール感で本家に遠く及ばない真壁が、ブロディを真似るのは冒とくだというわけです。しかし、そんな批判に臆することなく、真壁はこれを貫き通しました」(同)
やがて、ヒールとしての全力ファイトが徐々にファンからも認められるようになり、いつしか真壁は一身に応援を受けるまでになっていた。
「その集大成ともいえるのが2009年のG1クライマックス決勝戦。相手は入団時からエース候補としてもてはやされながら大きな結果を残せず、ヒールに転向してからもどこか中途半端な状態でいた中邑。この試合で場内は、本来ヒールであるはずの真壁へのコール一色に染まったのです」(同)
翌2010年にはその中邑の顔面に、コーナートップからのキングコング・ニードロップを食らわせてピンフォール勝ちを収め、IWGP王座を奪取する。
一方、真壁に敗れた中邑は、その後、ヒールともまた違った“クネクネ&イヤァオゥ!”の独自スタイルで復活することになる、そうしてみると真壁は、今やWWEスーパースターとなったシンスケ・ナカムラの生みの親とも言えようか。
決して才能に恵まれていたわけではなく、体格やルックス、バックボーンにも秀でたものはない。平凡なレスラーで終わってもなんら不思議のなかった真壁が、己の信念を貫くことでトップに立ち、大きな喝采を得ることになった。これもまたプロレスというジャンルの面白さであろう。
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真壁刀義(まかべ・とうぎ)1972年9月29日生まれ。神奈川県相模原市出身。
身長181㎝、体重110㎏。得意技/キングコング・ニードロップ。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)