長嶋茂雄
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スポーツ 2021年05月14日 20時30分
巨人選手が温泉で溺れかける?「1番しんどかった」鹿取氏、命の危機も感じた“地獄の伊東キャンプ”の壮絶さを明かす
野球解説者の石毛宏典氏(元オリックス監督)が13日に自身の公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、野球解説者の鹿取義隆氏(元巨人GM)がゲスト出演。動画内での発言がネット上のプロ野球ファンの間で話題となっている。 今回の動画で鹿取氏は、巨人(1979-1989)、西武(1990-1997)でプレーした現役時代の思い出をテーマにトーク。自身が巨人入りすることになったきっかけや、同僚・江川卓氏(現野球解説者)の投球術などについて語った。 その中で話題となったのは、1979年の巨人秋季キャンプに参加した際にあったというエピソード。当時プロ1年目・22歳のシーズンを終えたばかりの鹿取氏は、江川氏、中畑清氏(元DeNA監督)、篠塚和典氏(元巨人一軍打撃コーチ)といった面々と共に同キャンプに参加した。 鹿取氏によると、キャッチボールや投内連携などボールを使用するメニューは楽だったというが、走り込みなどの基礎トレーニングは過酷だったとのこと。「クロスカントリーのところ(コース)を走ったり、ゴルフ場に行ってずっと何本も走ったり、普通の運動場で百本単位で走ったり。それが一番しんどかった」という。 同キャンプでは休みらしい休みもなく毎日猛練習が行われたため、「(宿泊先の)部屋からマッサージルームまで行く時にはって行ってた」と自力で歩くのが困難なほど疲労がたまったという鹿取氏。「先輩たちが(マッサージ)やって(もらって)るので寝ちゃいけないけど、待ってる間に(何度も意識が)落ちてた」と、マッサージの順番待ち中にいつの間にかうたた寝することもしばしばだったという。 また、鹿取氏はマッサージの順番待ち中だけでなく、宿泊先の温泉に入っている最中にも寝てしまったことがあると告白。「『あ~気持ちいいな』と思ったら、(いつの間にか寝ていて)ズズズっと顔が(水中に)入って『うわっ!』って起き上がったりだとか(がよくあった)」と何度も溺れかけたと語っていた。 >>清原氏に「いい加減にしろよオイ!」後輩が激怒 命の危機を感じた? 巨人・元木ヘッドが衝撃のいたずらを明かし反響<< 今回の動画を受け、ネット上には「普段から鍛えてるプロ選手が立てなくなるほどの過酷さって想像できない」、「温泉で居眠りするのはヤバい、一歩間違えたら死んでたんじゃないか」、「休み無しで毎日猛練習って今同じことやったら大問題になりそう」、「今でも地獄のキャンプって語り継がれてるのもうなずける話だ」といった反応が多数寄せられている。 「1979年の巨人秋季キャンプはチームが同年5位に終わったことに危機感を抱いた長嶋茂雄監督(当時)が、18名の若手選手を選出して同年10月28日~11月22日に静岡・伊東で実施したキャンプ。キャンプ開始時に『どんな艱難辛苦(かんなんしんく)にも耐えて、生き抜く心身をつくるんだ。その意識革命のために、我々はここ伊東に馳せ参じたんだ!』とゲキを飛ばす長嶋監督の姿に、江川氏は恐怖を感じたと過去に明かしています。実際、キャンプイン後はノック、投げ込み、走り込みと選手たちにはハードなメニューが課せられましたが、投手コーチとして同キャンプに参加した高橋善正氏が過去に語ったところによると、3日目あたりからほとんどの選手が疲労のあまりグラウンド内外で全く喋らなくなったそうです。それでも、18名の選手たちは誰一人として途中離脱せず同キャンプを完走し、その多くがリーグ優勝・日本一を果たした1981年シーズンの主力メンバーへと成長しています」(野球ライター) 中畑氏もDeNA監督時代に「あんな厳しいキャンプは二度とできない」と語ったことが伝えられている“地獄の伊東キャンプ”。鹿取氏が明かした壮絶さに驚いたファンも多かったようだ。文 / 柴田雅人記事内の引用について石毛宏典氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UC9uwO3E7TohCjf1X3zU_kOw
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スポーツ 2021年05月11日 21時30分
元巨人・槙原氏、現役末期の抑え転向は屈辱だった? 当時の苦悩を明かし反響、「首脳陣に押し付けられた」との見方も
野球解説者の槙原寛己氏が10日、自身の公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿。動画内での発言がネット上の巨人ファンの間で話題となっている。 今回の動画で槙原氏は、視聴者から寄せられた複数の質問に回答する形でトークを展開。その中で話題となったのは、「現役生活最後の2年間は抑えの方に回っていたが、正直先発にこだわりはあったのか?」という質問を受けて語った当時の苦悩だった。 巨人(1982-2001)一筋で現役生活を送り「463登板・159勝128敗56セーブ・防御率3.19」といった通算成績を残した槙原氏は、1998年シーズン途中に先発から抑えに配置転換されている。槙原氏によると、長嶋茂雄監督(当時)が槙原氏、斎藤雅樹氏、桑田真澄氏、ガルベスの4先発から槙原氏を抑えに回すことを決め、投手コーチを介する形で配置転換を伝えてきたという。 ただ、槙原氏は「(それまで)150いくつ勝ってたので、先発を続けていれば200勝も見えるわけですよ。だから考えましたよ」と、名球会入会条件でもある通算200勝達成が絶望的となるため最初は抑え転向を渋ったとのこと。また、「若い時は結構セーブとか挙げた(1997年までに通算6セーブ)けど、その時は(球に)力があったから(打者に)ガンガン行けた。けど、(現役)後半になってスピードもなくなってきた」と、抑えとしての適性にも欠けているのではとの思いもあったという。 しかし、その一方で槙原氏は1993年オフにFA宣言した際に直接残留を説得してくれた長嶋監督に恩義を感じていたといい、理由は触れていないが「俺がもし断ったらチームがおかしくなる」という懸念も抱いていたという。そのため、悩んだ末に「俺が我慢すればいいか」と渋々配置転換を受け入れたと語っていた。 >>清原氏に「いい加減にしろよオイ!」後輩が激怒 命の危機を感じた? 巨人・元木ヘッドが衝撃のいたずらを明かし反響<< 今回の動画を受け、ネット上には「当時はよく受け入れたなと思ったがやっぱり本当は嫌だったのか」、「あの配置転換は可哀想だった、首脳陣のミスを押し付けられた感もあった」、「結局抑えでは微妙だったから、本人もチームも幸せになってないのがまた悲しい」といった反応が多数寄せられている。 「槙原氏が抑えに配置転換されたのは当時プロ17年目・34歳だった1998年途中からですが、首脳陣はそれまでに何度かセーブを挙げていた経験や、17年間で12回100奪三振以上をマークした奪三振能力の高さを買って白羽の矢を立てたといわれています、ただ、当時のチームは1993年の石毛博史(30セーブ)を最後に30はおろか20セーブ以上を記録した投手がゼロと長らく抑え不在に苦しんでいました。そのため、槙原氏の配置転換は首脳陣が抑えを育てることを放棄した結果という見方もされています」(野球ライター) 抑えに転向した1998年から現役ラストの2001年までの成績は、「103登板・10勝8敗50セーブ・防御率3.66」と安定感に欠けた槙原氏。もしかするとモチベーションの低さも成績に表れているのかもしれない。文 / 柴田雅人記事内の引用について槙原寛己氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UCU77bY7q28jGPYlDn089gfg
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スポーツ 2021年05月01日 11時00分
巨人投手の左フックで中日打者が流血! 放棄試合の危機を招いた“ヘビー級”大乱闘、4年後も当事者は「口もきかん」仲介も拒否?
3月26日の開幕から約1カ月が経過し、ゴールデンウィーク(GW)期間の戦いに突入している今季のプロ野球。一部球団は今季初の9連戦が組まれているため、前半戦の戦いを占う重要な期間といえるだろう。 休日が続くこともあり、その分ファンの注目も大きくなるGW期間の試合。そのGWの時期に、両チームが入り乱れる大乱闘が勃発した試合が過去に行われている。 1996年5月1日、ナゴヤ球場で行われた巨人対中日の一戦。同戦は巨人が序盤から小刻みに得点を奪い、5回表終了時点で「6-0」とリード。その裏、巨人先発・ガルベス攻略の糸口をつかみたい中日は山崎武司が先頭打者として打席に入るが、ガルベスから頭部をかすめる直球を投げられ転倒してしまった。 すると、この球に激高した山崎はマウンドに詰め寄り、ガルベスも左手のグラブを地面に投げ捨て山崎に歩み寄る。マウンド前方で対峙した瞬間ガルベスは山崎に左フックをお見舞いし、山崎もヘッドロックで応戦。そこに両軍ベンチから飛び出した選手・コーチがなだれ込み一気に大乱闘に発展した。 マウンド前方に形成された乱闘の輪は一度三塁側方向に流れると、次は一塁側に移動するなど両チームの押し合いへし合いはしばらく収まらず。この間、中日の一部選手がバットを手に密集を分け入ろうとし、それに気づいた巨人コーチがすぐにバットを取り上げ後方に投げ捨てる一幕もあった。 乱闘の輪の中からガルベス、山崎が引き離されて乱闘は沈静化したが、ガルベスはユニフォームのボタンが一部引きちぎられた状態で山崎も口から流血。両者がベンチに下がった後、審判団は両者に退場を宣告した。 ところが、この直後巨人・長嶋茂雄監督はガルベスの退場を不服とし、自軍選手を全員グラウンドから引き揚げさせる行動に出る。放棄試合も辞さないこの行動を受けた審判団はすぐに説得にあたり、約30分後にようやく長嶋監督は説得に応じ試合は再開された。 試合はその後「9-4」で巨人が勝利したが、セ・リーグが翌日にガルベス、山崎両名に「厳重戒告、罰金10万円」という処分を科した。当時の報道によると、前の回に同僚・小島弘務が巨人・落合博満に死球を与えたため、山崎は次の回に報復として危険球を投げられるのではと予想。そのため、打席に入る前に「(危険球)来たら(乱闘)行きますから」と首脳陣に宣言していたという。 なお、後年の報道によると、山崎はその後2000年まで巨人でプレーしたガルベスとは「最後まで口もきかんかった」とのこと。2人そろって選出された1996年のオールスターでは、同僚・大豊泰昭が仲介役を名乗り出たというがこれも頑なに断ったという。 当時ガルベスが体重107キロ、山崎が86キロだったことから、“ヘビー級同士のバトル”とも言われた大乱闘。新型コロナウイルスが流行している現代ではまずお目にかかれないアクシデントだろう。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2021年04月29日 11時00分
長嶋一茂、まさかの人物から説教「これ何なの」 高校球児時代の理不尽エピソードに反響、「ある意味慧眼だった」の声も
野球解説者の高木豊氏が26日に自身の公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、元プロ野球選手でタレントの長嶋一茂氏(元巨人他)がゲスト出演。動画内での発言が、ネット上のプロ野球ファンの間で話題となっている。 今回の動画で一茂氏は、1988年のプロ入り以前の思い出や苦労話などをテーマにトーク。中学時代に一度野球をやめたことや、高校で再開しようと決意したきっかけなどについて語った。 その中で一茂氏は高校時代、ショックを受けたというあるエピソードを告白。一茂氏は父・茂雄氏(元巨人監督)と同じ立教大学で野球がしたいという思いから、系列校である立教高等学校(現:立教新座高等学校)に進学。ただ、中学で野球をやっていなかったブランクもあり、当初はキャッチボールやノックといった練習をこなすのも一苦労だったという。 それでも、「.305・444本・1522打点・2471安打」といった通算成績をマークした茂雄氏の息子ということもあり、多くのマスコミが連日高校のグラウンドを訪れるなど周囲から注目されていた。そんなある日、現役時代の茂雄氏を長年撮影し続けてきたカメラマンが高校を訪れ、バットを振る一茂氏をしばらく撮影したという。 ところが、そのカメラマンは撮影後、初対面の一茂氏に「君は親父さんと全然違う。全然ダメだ」と突然ダメ出し。続けて、「君の親父さんはまず構えた時はこうで、最後バットスイングした後はこういうような形でここまで腰が回ってた」と、茂雄氏の打撃フォームを引き合いに説教をしてきたという。 それまで指導を受けてきたコーチ・監督から、茂雄氏と比較されるような指導を受けたことはなかったという。説教中は心の中で「この人(指導者でも何でもない)カメラマンだよな?」、「これ(この人)何なのかな」と疑問を抱いていたと語っていた。 >>ヤクルト主力が監督に激怒「ふざけんなこのおっさん!」 大荒れの原因は一茂? 広澤氏、想定外の采配を明かしファン驚愕<< 今回の動画を受け、ネット上には「何様だよそのカメラマン、一茂はよくその場で激怒しなかったな」、「面識ない大人から父親と比較されて説教されるって地獄でしかない」、「カメラマンは良かれと思って言ったのかもしれないけど、言われた側としては『は?』ってなるよ」、「いちいち父親と比較されるのは可哀想、その分重圧やストレスも凄かったんだろうな」といった反応が多数寄せられている。 一方、「一茂のプロ成績を見るとダメって言うのはあながち間違いでもない」、「一茂はプロには入ったけど今一つだったし、ある意味そのカメラマンは慧眼だったのでは」、「一茂が大成していればまた話も違ったんだろうが…」といったコメントも複数見受けられた。 「一茂氏はその後立教大学を経て1987年ドラフトでヤクルトから1位指名され、翌1988年からヤクルト(1988-1992)、巨人(1993-1996)でプレー。ただ、通算成績は『.210・18本・82打点・161安打』と茂雄氏には遠く及ばない数字に終わりました。そのため、一茂氏が高校の時点で苦言を呈したカメラマンには見る目があったと考えているファンも少なくないようです」(野球ライター) 1996年限りで現役を引退した後はタレントに転身し、55歳となった現在でも精力的に活動している一茂氏。野球界を離れて久しい今でも、約40年前に受けた突然のダメ出しは強く印象に残っているようだ。文 / 柴田雅人記事内の引用について高木豊氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UCgr5CkgytiVfdnk4C0M42nQ
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スポーツ 2021年04月24日 11時00分
巨人・長嶋監督が突然丸坊主に!「あれだけのことをしでかして…」球団にも激震、2度の大乱闘が勃発した衝撃の警告試合
3月26日にセ・パ同時開幕し、約20試合が終了した今季のプロ野球。日々様々なトピックが生まれる中で大きな話題を呼んだのが、4月18日・阪神対ヤクルト戦での警告試合の宣告だった。 同戦では7回表に阪神3番手・岩貞祐太がヤクルト・村上宗隆に、8回表には同4番手・加治屋蓮が塩見泰隆にそれぞれ死球を与えると、8回裏にはヤクルト5番手・梅野雄吾が阪神・大山悠輔に死球をぶつけてしまう。すると、審判団は直後に「ただ今の投球に関して、両チームに警告を出します。警告試合にいたします」と今季初の警告試合を宣告することを場内にコールした。 警告試合は試合中に危険なプレーが発生した際、審判団がその後に死球などの報復行為が行われる危険性があると判断した試合のことで、審判は宣告すると以降、故意・過失に関係なく、報復行為と判断できるプレーを行った選手やそのチームの監督に退場を宣告することができる。審判団は梅野の死球を阪神側への報復行為となり得る危険なプレーと捉え、報復行為の応酬を防ぐために警告試合を宣告したものと思われる。 ネット上のヤクルトファンからは「それまで阪神はお咎め無しで、ヤクルト側が1発当てたら警告っていうのは腑に落ちない」、「ヤクルト側は被害者なのに酷すぎる、阪神をひいきするな」と苦言や批判が挙がったが、幸いなことに選手・首脳陣がペナルティを受けるような事態は起こらなかったこの警告試合。ただ、過去には当事者チームの指揮官が責任をとって頭を丸める事態につながった警告試合がある。 >>甲子園の審判団に「阪神をひいきするな」ヤクルトファン激怒 藤浪ら死球連発の犠牲に? 今季初の警告試合宣告に反発相次ぐ<< 1998年8月2日に甲子園で行われた巨人対阪神の一戦。7回まで「2-2」と両チーム互角の戦いを展開する中、8回表2死三塁の場面で阪神2番手・吉田豊彦が巨人・高橋由伸の右ひじに死球をぶつけてしまう。すると、この直後巨人ベンチから選手・首脳陣が一斉にグラウンド上に殺到。後を追うように阪神側の選手・首脳陣もベンチを飛び出し、本塁付近での乱闘に発展した。 しばらくして乱闘は沈静化したが、直後に捕手・矢野燿大(当時の登録名は矢野輝弘)の後逸により1点を勝ち越された阪神。ただ、8回裏2死満塁からハンセンが逆転2点タイムリーを放つと、続く新庄剛志も2点タイムリー三塁打を放ち一挙4得点。なおも2死三塁のチャンスで、先ほどミスを犯した矢野が打席に入った。 ところが、ここで巨人6番手・槙原寛己が矢野の横腹付近に死球をぶつけてしまう。矢野は死球が当たった付近を押さえながらマウンドに詰め寄ろうとし、両チームベンチも再びグラウンドに殺到。結果、マウンド付近でこの日2度目の乱闘が勃発することとなった。 1度目を上回る規模となったこの大乱闘により、阪神・大熊忠義一軍外野守備・走塁コーチが暴力行為で退場に。乱闘が収まった後審判団は警告試合を宣告し、その後は一触即発の事態は起こることなく試合は「6-3」で阪神が勝利した。 大怪我を負った選手などはいなかったが、試合中に2度も乱闘が起きてしまったことを重くみた両チームは、後日ファンに向けて連名で声明を出し謝罪。さらに巨人は2日前の同年7月31日・阪神戦で助っ人・ガルベスが降板直後に球審に球を投げつけるという前代未聞の騒動を起こしていたこともあってか、長嶋茂雄監督が同年8月4日・広島戦前に頭を丸めた状態でグラウンドに登場。当時の報道によると、長嶋監督は「あれだけのことをしでかしておいて、声明文だけじゃあね。何らかの形でファンや関係者の方々におわびをしないといかんだろう」と責任をとるために丸坊主にしたという旨を語ったという。 警告試合が宣告された試合では、前後にもみ合いや乱闘が勃発しているケースが少なくない。今回の阪神対ヤクルト戦で大きな騒動が起こらないまま試合が終わったのは非常に幸運なことだったのかもしれない。文 / 柴田雅人
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芸能ニュース 2021年03月03日 19時00分
爆問田中に「いちいち病み上がりみたいな顔する」太田がクレーム? ダメ出し回避術を指摘
3月2日深夜放送の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ系)で、東京ドームで行われた巨人の1軍練習をサプライズ訪問した長嶋茂雄終身名誉監督の話題となった。長嶋氏の訪問は2日だが、田中裕二は「今日は日付変わって、令和3年3月3日ですよ」と長嶋氏の背番号と同じ日付であると指摘。 太田光は「やっぱりぱっと明るくなるよ。あの人を見ると。あれは元気与えるよね」と長嶋のキャラクターを絶賛。続けて、「お前もそうならないと、脳梗塞でしょ、ミスターも。お前もそうやってみんなに(勇気を)与えるように」と話した。長嶋氏は2004年に脳梗塞を発症し、右半身に麻痺が残ったが、その後も精力的に活動している。太田としては同じ病気を経験した田中にも、そうした存在になるべきではと考えているようだ。 >>爆問田中が深夜ラジオ復帰「もう、こりゃだめだ」太田は正直な気持ちを明かす<< 田中は「そこに行って巨人の選手を勇気づけられるかというと……」と勘違いしていたが、太田はそれを制し、「タマを取った人、離婚した人、小さな人、そしてくも膜下出血、脳梗塞の人。そういう人たちに、元気になってやっていけるんだって、そういうことだよ」と世間全体に対してアピールして行くべきだと説明。過去の田中の来歴に関して笑いを交えながらも、生真面目に諭していた。 これには、ネット上で「なんだかコンビ愛が感じられる」「これは太田さんの本心なんだろうな」といった声が聞かれた。 それでも、太田は田中に対し、「いちいち病み上がりみたいな顔する」とネタ作りの時などにダメ出しをすると、そこから逃れるように血圧を測り出す田中へツッコミを入れる場面も。こうしたエピソードは今後、無数に出てきそうだ。 ただ、太田は番組の放送作家を務める男性と田中が同じ血圧を下げる薬を飲んでいることにも、「お前らガキいるんだからダメなんだよ。ガキいるやつはそんな感じじゃ。わかってんのか」と毒舌を交えながらも、家族持ちの田中やスタッフを気づかうフォローも忘れなかった。
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スポーツ 2021年01月31日 11時00分
巨人・長嶋監督の策略が歴史的フィーバーに! 当時6歳の現役選手も現場に? 50億円以上をもたらした伝説の春季キャンプ
毎年2月1日から同月下旬ごろまで、宮崎や沖縄を舞台に各球団が行っているプロ野球春季キャンプ。今年も明日から全12球団が一斉にスタートさせる。 今年のキャンプはコロナ禍の影響により全球団が無観客で行うことが決定しているが、例年なら“球春到来”を待ちわびたファンで初日からにぎわいを見せる。中でも伝説的な盛り上がりを見せたと語り草になっているのが、2000年に宮崎で行われた巨人の春季キャンプだ。 >>巨人・長嶋監督が元木に「うるせえんだ馬鹿野郎!」 試合前に暴言を吐かれた? 槙原氏が現役時代の珍事件を暴露<< 同年の巨人は長嶋茂雄監督が就任8年目(通算では14年目)のシーズン。1996年を最後にリーグ優勝から遠ざかり前年も2位だった巨人は、オフに江藤智(←広島)、メイ(←阪神)、工藤公康(←ダイエー)と積極補強を敢行した。 この3名のうち、江藤は広島時代に長嶋監督と同じ背番号「33」を着用していた。ただ、長嶋監督は江藤に同番号を譲り、自身は現役時代(1958-1974)の背番号「3」を着用することを決断した上で獲得を実現させた。 巨人の背番号「3」は長嶋監督の引退後は永久欠番となっていたが、江藤獲得の影響で26年ぶりに復活することに。そのため、江藤の加入直後からファンやメディアの間では、長嶋監督がいつ背番号「3」のユニフォーム姿を披露するのかが話題に。当初は2月1日の春季キャンプ初日で披露するとの見方が強かったため、キャンプ地である宮崎総合運動公園には初日から数万人のファンが詰めかけた。 ところが、長嶋監督は大方の予想に反して上着姿でグラウンドに登場し、最後まで上着を脱がないまま初日が終了。翌日以降もなかなか上着を脱がず、キャンプ地を訪れたファンや報道陣をやきもきさせた。ただ、「もしかしたら今日見られるかも」と考えるファンは多かったのか、休日に比べて集客が見込みにくい平日でも例年に比べて観客数の落ち込みはなかったという。 キャンプインから12日目の2月12日、遂にその瞬間が訪れる。この日、長嶋監督は午後から江藤にノックを行うため車でグラウンドに登場したが、ノック開始直前にさっそうと上着を脱ぎ背番号「3」のユニフォーム姿を初披露。球場に詰めかけた約5万5000人の観衆からは待ってましたとばかりに大歓声が挙がった。 その後、「江藤! 死に球は打ってないぞ俺は!」と熱のこもったノックを約40分続けファンを魅了した。当時の報道では「本当は初日で脱ごうと思ったんですが、いつの間にか脱ぎづらい雰囲気になって」とのコメントが伝えられているが、本人は背番号「33」の江藤に「3」を背負った自身がノックをする光景が一番絵になると考え、12日を選んだのではとの見方は根強い。 長嶋監督の“焦らし戦法”の効果もあってか、巨人はこの春季キャンプ中に約26.7万人と断トツの観客動員数を記録(2位は西武で約8.1万人)。背番号「3」披露当日に記録した約5万5000人は、1日当たりの観客動員数としては他球団を含めても歴代トップとされている。また、後年の報道では経済効果も当時としては破格の約52億円だったと伝えられている。 なお、背番号「3」披露の瞬間に立ち会った観客の中には、当時6歳の西武・源田壮亮も含まれていたことが過去の報道で明らかとなっている。源田は父親に連れられて巨人キャンプを訪問しており、とにかく人が多かった記憶が今でも残っているという。 現在の巨人春季キャンプは紅白戦が行われる休日などに、3万後半~4万人ほどの観客が集まれば大盛況といわれることが多い。一監督のユニフォーム姿見たさに5万人以上が殺到するような光景はもうこれから先は見られないのかもしれない。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2021年01月18日 17時00分
巨人・長嶋監督が元木に「うるせえんだ馬鹿野郎!」 試合前に暴言を吐かれた? 槙原氏が現役時代の珍事件を暴露
元楽天監督で野球解説者の大久保博元氏が17日に自身の公式ユーチューブチャンネルに投稿した動画に、元巨人で野球解説者の槙原寛己氏がゲスト出演。巨人・元木大介一軍ヘッドコーチにまつわる珍事件を暴露した。 大久保氏が9日に投稿した動画で初出演し、今回が5本目の登場となる槙原氏。今回の動画では槙原氏が現役時代に球場内外で見聞きした事件・ハプニングを複数挙げながらトークを展開したが、その中で現役時代の元木コーチと当時の長嶋茂雄監督の間で起こった珍事件を語った。 >>巨人・菅野、MLBでの成功は絶望的? NPBすら追われたケースも、ポスティング不成立に終わった選手の末路は<< 動画内で具体的な時期は明かしていないが、ある日の東京ドームの試合で元木コーチは久々にスタメンに名を連ねた。槙原氏によるとその時の元木コーチは久々の先発に緊張し、試合直前になって急にトイレに行きたくなったという。 ただ、当時の東京ドームの選手用トイレは個室が2個しかなかった上、「大体投手がこもってて、漫画読んでる奴とかもいる」と、なかなか空きが出ないこともしばしばだったとのこと。同戦前も個室が両方とも空いていなかったため、元木氏は「誰だ早く出ろ!俺先発なんだから!」と個室のドアをたたき、入っている人物をせかしたという。 元木氏がしばらくドアをたたき続けた結果片方の個室のドアが開いたが、中から出てきたのはまさかの長嶋監督。槙原氏はこのときの元木氏の様子には触れなかったが、長嶋監督が「うるせえんだ馬鹿野郎!」と元木氏を一喝したことを明かした。 長嶋監督に怒られながらも、元木コーチはそのままスタメン起用されたという。ただ、槙原氏は「あいつその試合全然打てなかった」と、名誉挽回することができなかったと語っていた。 槙原氏はこの他にも元木コーチが持つ稀有な能力や、自身が先発した試合後に起こったハプニングなどを動画内で語っている。 今回の動画を受け、ネット上には「トイレしたさにせかした相手が長嶋監督って面白すぎる」、「監督やコーチが入ってる可能性もあるって考えは無かったんだろうか」、「逆によく長嶋監督は『うるせえ!』だけで済ませてくれたな」、「そもそも個室が2個しかないのが意外だな」といった反応が多数寄せられている。 2019年から巨人でコーチ(2019年は一軍内野守備兼打撃コーチ/2020年から一軍ヘッド)を務め、チームのセ・リーグ2連覇に貢献している元木氏。その元木氏が長嶋監督に無礼をはたらいていたという話に驚いたファンも多かったようだ。文 / 柴田雅人記事内の引用について大久保博元氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UCKa1VlSq1WwdSQWv4JFdgxg
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スポーツ 2020年10月16日 19時30分
元横浜・高木氏、長嶋一茂は「親父を超える素質があった」 通算18本の“二世選手”が見せた驚きの素質とは
元横浜で野球解説者の高木豊氏が15日、自身の公式ユーチューブチャンネルに動画を投稿。元プロ野球選手で現在はタレントの長嶋一茂について言及した。 今回の動画で高木氏は、球界の二世選手をテーマにトーク。その中で一茂の名前を挙げ、現役当時に感じたという素質や試合中に見受けられた惜しい姿勢について語った。 現役時代にヤクルト(1988-1992)、巨人(1993-1996)の2球団でプレーした一茂。通算成績は「384試合・.210・18本・82打点・161安打」と決して傑出した数字ではないが、同時期に大洋・横浜でプレーしていた高木氏は「素質的にはすごかった、親父(長嶋茂雄氏)を超える素質があったような気がする」とポテンシャル自体は優れていたと評した。 高木氏は続けて、「体の力、肩の強さ、ボールを遠くへ飛ばす力、そういうのはすごい力を持ってた」とコメント。試合前練習などではたから見ていても、身体能力が非常に優れていることは一目で分かったという。 ただ、いざ試合になると一茂は「あっさりしてる感じ」だったといい、必死に粘って甘いボールを待つようなバッティングはしていなかったとのこと。逆に、「ここ(狙いのコース)に来なかったんだからしょうがない」というような表情で凡退する場面が多かったという。 打席での一茂は「ハングリー精神がない(ように見えた)」という高木氏。それでも、「体つきも何もかも、親父よりは上だったと思う」と、父親をしのぐほどの能力があったことは確かだと重ねて主張していた。 高木氏はこの他にも野村克也さんの息子であるカツノリ(野村克則/現楽天一軍作戦コーチ)や、父親が大洋時代の先輩という現役二世選手について動画内で語っている。 >>元巨人・桑田氏、長嶋監督の“新たな伝説”を暴露重要な『10.8決戦』の裏で起こった珍事に困り果てていた?<< 今回の動画を受け、ネット上には「身体能力が高いというのはうなずける、今でもテレビ見てると他の出演者と明らかに体格違って首も太いし」、「あんまりバットには当たらなかったけど、当たったら逆方向でもすごい打球飛ばしてたな」、「裕福に育てられただろうから、ハングリー精神がないのも仕方ない気がする」、「落合とかも素質あったっていってるし、才能自体は本当にすごかったんだな」といった反応が多数寄せられている。 「今回高木氏から素質を評価された一茂ですが、そのポテンシャルを評価している球界人は他にもいます。ヤクルト時代の同僚である元ヤクルト監督・古田敦也氏は、当時の一茂について『力は本当に強い。握力80キロぐらいある』、『僕らよりも全然すごい体をしていて才能はすごい。肩も強いし、足も速い。だからドラフト1位になるのは間違いない』と過去に出演したTV番組でコメント。また、一茂と自主トレを共にしたことがある元中日監督・落合博満氏は『もうちょっと練習をやっておけばなあ』、『絶対に親父を超えたのに、本当に練習しない』と、もっと練習を重ねていればものすごいレベルの選手になったはずだと本人との対談で語っています』(野球ライター) 右ひじの故障や打撃不振により1996年に30歳で引退し、引退後も巨人や他球団で指導者を務めてはいない一茂。引退から20年以上が経過した今ではタレントやコメンテーターとしてのイメージの方が強くなっているが、現役当時の本人や周囲の取り組み方次第では、今でも語り継がれるほどの名選手になっていた可能性もあったのかもしれない。文 / 柴田雅人記事内の引用について高木豊氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UCgr5CkgytiVfdnk4C0M42nQ
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スポーツ 2020年06月12日 06時30分
新庄剛志が巨人の目論見を粉砕! 常識外れの打撃に長嶋監督もあぜん? 計算づくめで呼び込んだ敬遠球サヨナラ打
6月19日の開幕に向け、2日から各地で練習試合が行われている今シーズンのプロ野球。練習試合では選手の調整機会を確保するために、「後攻チームが勝っていても9回裏を行う」、「投手への代打をDHとする」といった、普段の公式戦ではあり得ない特別ルールが採用されることも多くなっている。 横浜スタジアムで4日に行われた楽天対DeNA戦では、特別ルールにより「先攻DeNA・後攻楽天」という通常とは真逆の形で試合が行われ、後攻の楽天が敵地なのにサヨナラ勝ちを収めるという珍事が起こっている練習試合。今から約20年前のこの時期には、この楽天対DeNA戦を上回る異例のサヨナラ劇が起こった試合がある。 1999年6月12日、甲子園で行われた阪神対巨人の一戦。「4-4」と両チーム同点のまま迎えた延長12回裏、阪神は1死一、三塁と絶好のサヨナラ機を演出。ここで打席には同戦で3安打、8回裏には同点ホームランも放っていた新庄剛志が入った。 新庄がここまで猛打賞を記録していたことやベースが1つ空いていたことを考慮した巨人ベンチは、新庄を敬遠し勝負を避けることを選択。この回からマウンドに上がっていた巨人・槙原寛己は、指示通りに1球目を外角のボールゾーンへ投げた。 しかし、槙原が続けて投じた外角への2球目を、新庄は思い切り踏み込みスイング。打球が三遊間を転々と抜けていく間に三塁ランナーがホームインし、試合は「5-4」で阪神がサヨナラ勝ち。敬遠球を打つというセオリー無視の打撃が生んだまさかの結末に球場から大歓声が沸き上がる一方、打たれた槙原や巨人・長嶋茂雄監督はあぜんとした表情のままグラウンドを後にした。 現在でもしばしば“球史に残る名場面”として取り上げられるこの一打。ただ、新庄は単なる思いつきではなく計算して敬遠球を打ったと、2020年4月16日放送の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系)の中で明かしている。 新庄によると、同戦の3日前の試合で敬遠された際に「これは打てるな」と思い翌日から敬遠球を打つ練習をしていたといい、当時の野村克也監督もこの練習を見ていたとのこと。その後、同戦で新庄が打席に入る前に「敬遠球を打ちたい」と目でアピールしたところ、野村監督が了承してサインを出してくれたため練習の成果を発揮するに至ったのだという。 予想外のサヨナラ打で注目を集めた新庄は、試合後のヒーローインタビューでも注目を集めている。インタビューの中で新庄は「明日も勝つ!」とファンに高らかに宣言したが、同戦が行われた6月のチームは翌13~30日の11試合で「3勝8敗」と低迷した。また、新庄は同年9月10日巨人戦後にもヒーローインタビューで「明日も勝つ!」と口にしたが、チームは翌日からまさかの12連敗を喫している。 今回取り上げたサヨナラ打をはじめ球界に様々な話題を提供した新庄は、昨年11月12日に自身のインスタ、公式ユーチューブチャンネルを通じて現役復帰を宣言し再び話題となっている。宣言以降は居住するインドネシア・バリ島でNPB入りに向けトレーニングを継続しつつ、自身の公式インスタグラムでしばしば生配信を行うなどファンとも交流。また、練習量を増やすことを目的に、新型コロナウイルスの影響を考慮しつつ日程が決まれば日本に帰国することも4月28日に伝えられている。 5月上旬には、3球団が獲得に向け調査を行っているとも伝えられている新庄。NPB復帰が実現すれば、今回の敬遠球サヨナラに匹敵する話題を集めることになりそうだ。文 / 柴田雅人
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