市川團十郎
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芸能 2025年11月05日 15時00分
小林麻耶が改名を報告「戻しても良いと思えた」 團十郎批判などの“洗脳騒動”で仕事は激減
フリーアナウンサーの國光真耶が3日、自身のインスタグラムを更新。芸名を「國光真耶」から「小林麻耶」に戻すことを報告した。小林は、「これまで記事などを書いてくださる際に大変お手数をおかけいたしました」とメディアに気遣い「名前が全く浸透していないのにもかかわらず、國光真耶に仕事のオファーをしてくださった方々、有難うございます。感謝しています」とつづった。小林は2018年7月に整体師の國光吟氏と結婚し、翌8月に芸能界を引退。19年に復帰を遂げるも21年3月に離婚が成立し、國光氏が自身のブログで「戸籍上は夫婦ではないかもしれませんですが魂では夫婦です」などと奇妙な夫婦関係を築いてきた。さらに22年4月、夫妻は再婚する予定であることを報告。同年5月に「國光真耶として芸能活動をする運びとなりました」とし、「再婚はまだです」としていた。そして同年6月に元サヤ婚に至り、その混迷ぶりに世間を困惑させた。小林の改名にネット上では、「また離婚でもしたの」「可愛くて知性のある人だったのに……。洗脳って怖い」「一連の騒動でもう腫れ物感あって、改名したところでもどこも使いづらいよね」などと冷ややかな声が寄せられている。一方では、國光氏も自身のインスタグラムで「この度、國光真耶を元の小林麻耶に戻しても良いと思えたので戻しました。今まで、突然の改名で、ネット記事等でも、書きづらかったり、オファーを頂く時も、なんだかしっくりこない感じがあったにも関わらず、丁寧に國光真耶様と書いて頂き、有難うございました。これからも小林麻耶として、どうぞよろしくお願いいたします。國光吟」と、小林の改名について反応した。だが、世間は「元の小林麻耶に戻しても良いと思えたので戻しました」との文面に違和感を抱いているようだ。「小林は妹の麻央さんが17年に死去して精神的に落ち込んでいた時に、“オメガセラピー”を提唱する國光氏と出会ったそうです。2人は“交際ゼロ日”で電撃結婚し、20年11月に情報番組TBS系『グッとラック!』の降板騒動で地上波から姿を消すと、國光氏と夫婦でYouTubeチャンネル『コバヤシテレビ局』を開設しました。ところが、翌21年1月に突如終了してしまうなど“迷走”が相次ぎ、義理弟の歌舞伎役者・市川團十郎(当時、海老蔵)は國光氏に違和感を持ったといいます。そもそも『國光真耶』への改名は、実家である小林家との“決別宣言”ともいわれ、絶縁状態であったといいます。また、夫妻は『コバヤシテレビ局』が終了すると、その矛先は團十郎へと向きSNS等での猛批判を始めたのです」(芸能ライター)その後、再婚発表の直前に國光氏が「終わったよ」と題するブログで、團十郎への“暴露終了宣言”を報告。同様に小林も「あきら君がもう終わったよとのことなので終わりにします」とブログに投稿し、ようやく“停戦”を迎えた。しかし、この一連の騒動によって小林は親から縁を切られ、連絡が途絶えたと明かしている。そのため、國光氏との再婚を“駆け落ち婚”と表現し、周囲との縁を次々と切っていく姿が“洗脳”を疑われたのだ。いずれにしろ、婚姻の真相は不明だが、2人は顔を寄せあったツーショットや一緒にゴルフを楽しむ写真など仲睦まじい様子が頻繁に公開されている。かつて、“ぶりっ子”キャラで一世を風靡(ふうび)した小林だが、名前を元に戻したことで状況が変わるかといったら皆無であろう。どうやら、自らまいた“茨”の種は成長し過ぎたようだ。
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芸能 2023年08月25日 21時00分
團十郎「写真週刊誌に撮られてしまう…」心配も、『信長の野望』位置ゲームに意欲!
歌舞伎役者の十三代目市川團十郎白猿が、24日に都内で行われた『信長の野望 出陣』完成発表会にゲストとして出席し、理想の戦国武将像について語った。 >>全ての画像を見る<< 初代『信長の野望』は「父(十二代目市川團十郎)が大好きでずっとやっていまして、勧められて7歳くらいで始めたんですけど、登用が難しすぎて心が折れてしまいました」と幼少期の出会いを語った。積極的なイメージが信長と重なるが、「子どもの時に『泣かぬなら 殺してしまえ ホトトギス』が響いちゃったんですね。『なくしてしまうんだ、この人は』」と衝撃を受けたそう。「桶狭間でも、ちゃんと計算していながら、俺は計算なんかしてねえよと、わからないかのように振る舞う。男としてのロマンがかっこいいですよね」と憧れを語った。 舞台やドラマで織田信長を演じてきた團十郎。「祖父である十一代目(市川團十郎)は信長に生きざまが似ていると思われたようで、大佛次郎先生が書き下ろして作られた演目が『若き日の信長』です。それが大きく当たって、父が継承し、私も受け継いで200回近く歌舞伎でやっています。ドラマでは10代で(元服前の)吉法師から、大河ドラマの『おんな城主 直虎』、團十郎の襲名記念で『桶狭間 OKEHAZAMA~織田信長 覇王の誕生~』をフジテレビさんでやらせていただきました」と節目で向き合ってきた。長男の八代目市川新之助には、「信長役者としての教育をしたいなと。彼を見ているとゆったりした(徳川)家康の風情もあって、そういうところも兼ねながら、信長らしいエッジの効いた切れ味のあるところを伝えたい」と継承に意欲を見せた。 シリーズ40周年記念の『信長の野望 出陣』は初の位置情報ゲームで、現実世界をプレイヤー自身が歩くことでゲームを進める。イベントでは、團十郎からゼネラルプロデューサーのシブサワ・コウ氏に質問も。史実では明智光秀に討たれた信長だが、ゲーム内では歴史上のifが実現する。「戻ってきた(羽柴)秀吉とやり合うとかもあるんですか?」と尋ねた團十郎は、「まだまだ本能寺で死ねないパターンですね。光秀を返り討ちにして『待っていたぞ、光秀』って言う方が面白い」と興味津々だった。 約20年ぶりにゲームにハマっており、「新之助がやるものですから。夜は、せがれとオンライン上で戦いに出て一緒に組んでやっています」と報告。全国を飛び回る移動手段は「新幹線か飛行機か車」だが、位置情報ゲームの『信長の野望 出陣』は車移動もカウントされるため、「じゃあ車で。ゲームのために歩くという行動を取ると、写真週刊誌に撮られて、歩きスマホと言われてしまうんで」と自虐ネタで笑わせた。(取材・文:石河コウヘイ)
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芸能 2023年07月01日 17時00分
市川團十郎、学校や病院でトラブルも? 私生活見直さないと歌舞伎界に大打撃か
歌舞伎俳優の市川團十郎が6月27日、ブログで《未来の歌舞伎を作っていく仲間としてともに生きてきましたのでただただ、全てが残念です》と胸中を吐露した。 名前は出していなかったが、同日、歌舞伎俳優の市川猿之助容疑者が、母親の自殺を手助けしたとして逮捕されたことに対してであることは明らか。 團十郎は《あの日からずっとこのことが頭から離れませんでした。あまりにも悲しみが深く、どのように言葉にしてよいか、わかりません》と心境をつづり、《未来の歌舞伎を作っていく仲間として、ともに生きてきましたので、ただただ、全てが残念です》と複雑な胸中を吐露した。 >>『ミヤネ屋』、猿之助パワハラ報道に言及も「近い方と衝突が多い」弁護士のコメントが物議<< その上で、《私は、今自分にできることを見つめ直し 一歩一歩 勤めて参ります》と自身は芸にまい進することを誓った。 「猿之助容疑者が逮捕され、坂東玉三郎は大劇場からの引退を宣言。いずれも集客力のある役者なので、歌舞伎界にとって大打撃。もし、團十郎の身に何かあればとんでもない事態に陥るだろう」(演劇担当記者) 團十郎といえば、市川海老蔵時代の2010年11月末、泥酔して半グレグループのメンバーから暴行を受け負傷したが、半年ほどの謹慎処分を経て舞台復帰を果たした。 17年6月に妻の麻央さんが死去。以降、酒断ちをして長女の市川ぼたん、長男の市川新之助を育て上げたが、地方で女性との密会が報じられるなど、相変わらずお盛んだった。 そして、「女性自身」(光文社)のWEB版によると6月下旬、團十郎は2人の子どもを小学校へと金色の超高級車で送り届けていたというが、その小学校は車での登下校は基本的に禁止という規則が。特に以前は正門の前に堂々と車を停めていたため、保護者から学校側にクレームが入ったこともあるという。 また、20年12月、襲名を控えていた海老蔵時代、團十郎は頻繁に歯科医院へと通っていたというが、完全予約制にもかかわらず、予約なしで来てほかの患者が待たされることもあったというのだ。 私生活での振る舞いを改めないと、またまた〝大事件〟を起こしそうだ。
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