いかりや長介
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芸能ニュース 2021年12月28日 19時05分
志村けんさんドラマ、“コンプラ無視”で絶賛!「ただならぬリスペクト」不安視された福田氏演出も好評
12月27日放送の『志村けんとドリフの大爆笑物語』(フジテレビ系)が話題だ。本作は2020年3月に亡くなった志村けんさんの半生を中心に、ザ・ドリフターズの来歴を追ったドラマ。志村さんを山田裕貴、リーダーのいかりや長介さんを遠藤憲一が演じた。 >>タカトシの一言で志村けんの顔色が変わった? 今はもう触れられることのない“タブー”とは<< そこで番組で取り上げられたコンプライアンス無視の演出が話題となっている。ドリフの全盛期は昭和のギラギラとした時代。会議でもうもうとタバコの煙が立ち上がる様子や、当時から「食べ物を粗末にするな」と視聴者から苦情が来たとされるスイカ早食いや、牛乳を吐き出す「健康牛乳コント」のほか、スケベな「変なおじさん」なども、忠実に再現されていた。 そのため、ネット上では「こうして見ると、ドリフって今の時代ではコンプライアンスに引っ掛かりそうなことばかりやっていたんだな」「ドリフのドラマほんと面白い嬉し泣き。まさに世代だから子どもの頃見てたまんま!役者さんたち体張ってるし嬉し泣き。今はコンプライアンスとかで出来ないだろうコントだろうな〜」「本家、志村さんのスイカ早食いはもっと早かったな」といった声が聞かれた。 さらに、本作の脚本・演出を務めたのは福田雄一氏。福田氏と言えば数々のコメディ系の作品を手掛けているが、クセの強い独特のギャグセンスなどで、賛否が多い人物である。そのため、前評判としては福田氏が手がける本作品を不安視する声もあった。 だが、ネット上では「発表された時に福田雄一だからって叩いてた人たくさん見たけど、ちゃんとドリフターズへのリスペクトがあったし、令和の世にドリフのコントの面白さを知らしめたいという想いが伝わった」「福田雄一さんのとは思えないくらいの遊びの少なさに、ドリフへのただならぬリスペクトを感じる」「福田雄一的演出が随所にあるけど、ドリフの世界観を壊さない程度にしてるところがドリフをリスペクトしてる感じがしていい」といった声が聞かれた。 テレビはつまらなくなったと言われて久しいが、本作は「過激で面白かった昭和のテレビ」を思い起こさせる名作として、高い評判を得たと言えそうだ。
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芸能ネタ 2021年05月09日 20時00分
志村けんさん、いかりや長介さんとのリハーサルや撮影は別日だった?<共演NG?【犬猿の仲】の有名人>
新型コロナウイルスのパンデミックが発生してからおよそ1年が経過。収束どころか変異株の感染が拡大しつつある中、我が国は2度目のGWに突入した。厚生労働省の発表では、4月中に日本国内の累計感染者数は50万人を突破し、合計死者数は1万人を超えた。そのうちの1人となった、タレントの故・志村けんさんの死は日本中を震撼させた。 志村さんの一周忌を迎えた2020年3月29日、各局では追悼特別番組が放送され、高視聴率を記録。改めて偉大な喜劇王の姿が再確認された。芸にストイックだったという志村さんだが、かつての師匠で「ザ・ドリフターズ(以下、ドリフ)」のリーダーの故・いかりや長介さんとの確執は知られるところだ。 志村さんが高校2年の17歳のとき、当時の人気バンドだったドリフへの弟子入りを志願。雪が降りしきる中、いかりやさんの自宅へ押しかけ、およそ12時間も待ちぼうけをしていたという話は有名だ。 弟子入りを断られても食い下がらない志村さんの根性が買われ、まずはドリフの付き人として芸能界に足を踏み入れた。1974年、ようやく志村さんはドリフの正式メンバーに昇格。その後、『8時だョ!全員集合』(TBS系)に出演すると「東村山音頭」で大ブレークを果たした。 「メンバー内で最年少だった志村さんですが、同番組のころからリハーサルで罵声を飛ばす厳格な存在。打ち合わせやリハーサルは四六時中行い、スタッフにも高いレベルを求め続けたそう」(芸能ライター) 2020年4月に報じられたニュースサイト『シュージョプライム』では、志村さんの厳しさはメンバーや、いかりやさんに対しても同様だったことが報じられている。 記事によれば、同番組のネタの大部分をいかりやさんが担当していたが、志村さんは「俺のほうがもっとウケます」と反発していたという。1982年ごろになると、ネタ作りの限界を感じたいかりやさんがドリフの中心的存在となった志村さんにコントを委ねる形となったよう。だが、両者の仲が険悪になっていったことも事実。ついに85年9月に同番組は終了することになる。 >>マツコが「ホントに汚い女ね!」と一喝! ベッキーの“裏の顔”を早くから指摘していた?<共演NG?【犬猿の仲】の有名人><< さらに、1998年まで放送された『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)においては、いかりやさんの作るコントに志村さんが出演を敬遠し、88年ごろには両者の対立が収録にまで影響を及ぼす事態に。 番組の降板を要望した志村さんに対し、スタッフによる折衷案から、いかりやさん、仲本工事、高木ブーの3人と、志村さんと加藤茶の2人体制でのコントに。両者は同じ番組に出演していながら、リハーサル日も収録日も別々だったという。 当時、月刊誌のインタビューで、志村さんは「僕は今のいかりやさんが面白いと思わない」とバッサリ。続けて、「コントは今一緒にできない」とまで言い放っている。 ところが2001年末、ドリフが出場した『NHK紅白歌合戦』が両者を雪解けへと導いた。同番組では『全員集合』の衣装を5人がそろって着用し、メドレー曲を披露。その合間に往年の“少年少女合唱隊コント”をやることになるのだが、本番の前に行った全員でのネタ合わせが志村さんの心境に変化を及ぼし「不思議なんだけど楽しかった」とうれしそうに話していたと報じられている。 一方のいかりやさんは、2003年6月発売の自著『だめだこりゃ』(新潮文庫)で「志村だけが、本格的なコメディアンの才能をそなえていた」と志村さんを高く評価した。 志村さんの追悼番組では、いかりやさんが亡くなる直前のメモ書きが紹介され、「志村がえらい」との走り書きが。確執から和解まで10年以上を要した両者だが、まぎれもなく盟友であったに違いない。
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芸能ニュース 2020年11月24日 23時00分
さまぁ~ず大竹「いっぺんに終わった」仕事激減のワケは 三村ブレイク時の秘話を明かす
ハライチ・澤部佑が23日深夜、さまぁ~ず(三村マサカズ、大竹一樹)の冠番組『さまぁ~ず論』(テレビ朝日系)に出演。2人の売れなかった時期の話に驚きの声を上げた。 さまぁ~ずと澤部は『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)で同じ曜日レギュラーを担当した仲。ハライチは、“ノリボケ漫才”を武器に『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)や『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)などで活躍。澤部が1人で仕事をすることも多くなった中での共演だった。 >>さまぁ〜ず三村と粗品、意外な共通点 三村炎上ツイートの真相は?<< 当時、さまぁ~ずからは「絶対に落ちる時が来る」と言われたことがあったという。旧コンビ名であるバカルディ時代に仕事が激減したことがあった2人。ハライチのように、デビュー数年でテレビに出られるようになったが、大竹は「いっぺんに終わった」と回顧。しかし、本人たちは実感がなく、ライブをやると客も入る。「でもテレビの仕事がないな」と思っていたという。テレビにあまり出られなくなった当時、三村は「俺がマネージャーだったら、バカルディ売れると思うんだよな」とこぼしており、それほど自信があったと振り返る。さまぁ~ず改名前後で、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の企画『笑わず嫌い王決定戦』、さらには『内村プロデュース』(テレビ朝日系)などでブレイクした。 「一時期、三村のツッコミがフィーチャーされ、彼の仕事が多くなりました。三村は『ネタを作って、ボケとしていてくれ。不気味でいてくれ』と大竹に食レポなどの仕事は自分が担うと言っていたそうです。当時、三村は大竹が必死に小金を稼ぐのは見たくなかったのだとか。その考えは澤部も同じなようで、相方の岩井勇気にも不気味でいてほしい時期があったと明かしていましたね」(芸能ライター) このほか、ツッコミ論を展開。ダウンタウン・浜田雅功にも憧れていたが、関西のため「一番近いのは、いかりや長介さんかな」と三村。「『うるせぇ!』とか、魂のツッコミ。本当にバカなことやっていたら『うるせぇ!』に勝てるものない」と話す。くりぃむしちゅー・上田晋也や島田紳助さんのような例えツッコミは、頭に膨大な情報があるためできるが、三村は「薄っぺらいノートでやっている。“犬か!”が多くなる」と話して笑わせていた。
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芸能ニュース 2020年04月05日 12時20分
志村けんさん、いかりや長介さんとの不仲説の真相は? 視聴者も目にしていた「下剋上」
3月29日に70歳で亡くなった志村けんさんを偲んで、テレビでは「ザ・ドリフターズ」時代の映像が繰り返し流されている。志村さんはグループのボウヤ(付き人)を経て、24歳で「ザ・ドリフターズ」に加入する。メンバーでは最年少であったものの、徐々に頭角を現していく。その過程でリーダーであり、2004年に72歳で亡くなったいかりや長介さんとの確執が取り沙汰された。 いかりやさんとの確執については、志村さん自身が2016年に出演した『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)の人気コーナー「本音でハシゴ酒」で告白している。この様子は、4月3日放送の同番組においても追悼特集が組まれている。 志村さんは、ギャラの配分を巡っていかりやさんに不満を抱いていたようだ。1974年当時で月50万円と高額なギャラをもらっていたものの、ドリフは1回の営業で1500万を稼ぐ大スターだった。そのため、全然金をもらっていないと不満を抱くようになったようだ。当時のドリフのギャラ配分は、いかりやさんが6、残りの4人のメンバーが1割ずつであったため、志村さん以外のメンバーも不満を抱いていたようだ。 さらに、ドリフの名物番組と言えば、1969年から1985年まで断続的に続いた土曜夜の生放送番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)である。この番組は、1981年にスタートした裏番組である『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)に視聴率で追い上げられて行く。「ひょうきん族」はご存知の通り、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助さんら、後のテレビを席巻して行く芸人たちが集ったスター番組であった。芸人の「世代交代」が起こるのは必然であったと言えるだろう。 「ひょうきん族」の追い上げが強まると、それまで企画会議の中心にいたいかりやさんが「疲れた」「休みたい」と口にするようになる。これは、いかりやさんにとっては口癖のようなものであり、改めて頼られることを望んでいた。ただ、周りのスタッフやメンバーは、人気のあった加藤茶と志村さんを押し出した企画を作るようになり、いかりやさんを失望させたとも言われている。 かつてギャラに対し不満を抱いた最年少メンバーが、図らずも人気、実力ともに、リーダーであったいかりやさんを越えてしまう「下剋上」が起きた瞬間である。こうしたお笑い史の流れを、視聴者の立場から感じ取っていた者も多いのではないだろうか。それだけ志村さんが偉大なコメディアンであった証明でもあると言えるだろう。
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