「3位争いに加わった福岡ソフトバンクホークスの秋山監督も森氏に学びました。4番(=秋山)、エース(=渡辺)、司令塔(=伊東)と、12球団中'80年代の黄金期を支えた西武OB監督が3人もいるわけですから、森氏も喜んでいるんじゃないですか」(ベテラン記者)
しかしこの3監督、それぞれの球団の評価は決して高くないというのだ。
「西武時代の伊東監督は頑固で周囲の意見も聞こうとせず、半ばチームを追われる格好で去りました。千葉ロッテに転じ“外様”として心機一転、コーチ陣とも円満な関係を築きシーズン途中まで首位争いをしましたが、最後の最後で3位に落ちた。西武時代の悪い“クセ”が出たともっぱらです」(スポーツ紙記者)
西武・渡辺監督は、その伊東政権の失敗を背負っての指揮官昇格だった。当時、伊東監督の下で二軍監督を務めていた渡辺監督は、降格してくる中堅、若手を励まし、チーム崩壊を寸前のところで食い止めた。就任1年目の2008年、伊東監督時代に結果を出せなかった若手を使い、いきなり日本シリーズ制覇も成し遂げただけに、「今年のCSは絶対に負けたくない」との思いもあったはず。
「とはいえ、西武フロントは潮崎哲也二軍監督を、できるだけ早く昇格させたいという思いが強い」(同)
一方、福岡に流れた秋山監督は、渡辺監督以上に厳しい評価だという。
「秋山監督は3月に行われたWBC監督に推されながら固辞した。侍ジャパン特別顧問も務める王貞治球団会長の立場を考えれば、代表監督を断ってBクラスでは、万死に値します」(同)
“結果”以上のモノが求められる勝負の世界。黄金の過去は役に立たないようだ。