夫・長門の明治座公演千秋楽を待って営まれたこの日の通夜。21日に死去した後、夫の舞台が終了するまで霊安室に安置されていた南田さんの遺体は、長門が訪れる30分前に式場入り。最愛の夫を迎える形で、久々の対面を果たした。終演直後に会場入りした長門は、ひつぎの中の妻に駆け寄り、舞台の終了を報告。愛する妻へ最後まで役者魂を見せつけたという。
遺影を彩る花祭壇は、白いカーネーション、かすみ草、ゆりなどで白に統一、その中に南田さんが好きだったという黄色のフリージアが1500本飾られ、際立つ美しさを見せていた。祭壇中央に飾られた遺影は平成5年に撮影されたもので、焼香を終えた大林宣彦監督が長門に「いい写真だったね」と言うと、長門は「あれはぼくが撮ったんです」と打ち明けたという。夫の愛のこもった一枚だった。
「水戸黄門」で南田さんと共演した里見浩太朗は「『水戸黄門』に出てもらった時が(認知症の)兆候が表れた時だった。それが一緒に仕事をした最後。(認知症を患った南田さんを公の場に出して)どうしてそういうことをするのと思ったが、長門さんの考えで。そのことがとても悲しくて、もめたこともあった。さっきも握手して、今は何のわだかまりもないけど、何でああいう姿を見せなきゃいけなかったのか、同業者として亡くなった洋子さんがかわいそうだった」と振り返った。
当日まで長門と一緒に舞台に立っていた川中美幸は「舞台を一緒に出た人たちで、少しでもお父ちゃんを支えていきたいなと思います」と、役者魂を見せた長門をねぎらった。2年ほど前に南田さんと同じ「人間プロダクション」に所属していた野際陽子は「やさしいお姉さんって感じでした。もう一度お会いしたかったですね」と南田さんを偲んだ。
長門の弟・津川雅彦は「認知症だから本人は自然体になって、そうすると急にかわいいんだよ。夫婦の後半は下降線をたどるものだけど、兄貴を見てると毎日が充実していた。世話をかけないよう、すっと逝ってあげたいという兄貴への愛情と、そんなに早く逝ってくれるなという兄貴の愛情。一番『いい夫婦』を迎えていた2人だったから、悲しみは尽きない。女優としても妻としても、有終の美を飾ったなと思う」と2人の愛を称えた。
南田さんの法名は「華徳院釋尼洋愛(ケトクインシャクニヨウアイ)」。女優として華やかに活躍、徳に満ちた生涯を全うし、すべての人へ海のごとく広く深い愛を注いだ人、という意味だという。通夜・告別式はきょう30日、同所で行われる。