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貞淑美女タレントの性白書 オセロ・中島知子(2)

 中島は1971年8月26日、京都市山科区生まれの41歳。
 「長女で弟と妹がいます。実家は両親の躾が厳しく、意外にも小学生の頃までは内気な性格だったそうです。通信簿は4と5ばかりで、スポーツが苦手な優等生。あまりにもおとなしいので、中学生の頃に見かねた父親が詩吟を教え、発表会で披露するようになった。それから性格が変わったそうです」(トーク番組関係者)
 そして、地元の進学校・京都府立洛東高校に入学後、バスケットボールを始め、快活な女の子に変身していったという。

 タレントになるきっかけは、1年浪人して入った京都精華大学1年生の時のこと。
 「学園祭のミスコンでマドンナの物まねをして優勝したんです。金髪に白粉を塗りたくった姿で舞台に登場して大うけ。それが『松竹芸能』のスカウトの目に留まり、大学に通いながら養成学校入りしたのです」(芸能記者)

 もっとも、当初、中島が入ったのは、お笑い部門のタレント部ではなく、アシスタント部。発声練習ばかりの日々だった。
 「そこで同じクラスにいたのが松嶋。2人はすぐに意気投合し、面白い掛け合いを見せたことから漫才コンビを組むことになったのです。色黒の中島、色白の松嶋の肌の色から『オセロ』と名付けられたのです」(お笑い番組関係者)

 '95年『第16回・ABCお笑い新人グランプリ』で新人賞を獲得。中島の鋭い突っ込みと松嶋の天然ボケ、テンポのいい関西弁が受け一躍、売れっ子タレントの仲間入りを果たした。
 「東京進出は'97年ですが、ピンとしても先に売れ出したのは、美人な上にB87・W64・H91でEカップ巨乳のナイスバディを誇った中島でした。バラエティーや情報番組の司会の他、女優として映画や大河ドラマにまで出演するようになったのです」(テレビ局関係者)

 当然、恋の噂も取り沙汰された。
 「谷原章介とは、真剣に結婚を考えていましたが、'04年末頃破局。ショックとストレスから“激太り”したこともありました。中島は芸能界で一、二を争う下着マニアで、よく谷原に見せる“勝負下着”を松嶋に見せびらかしていたんですけどねえ」(お笑い関係者)

 しかし、中島にとってショックという点では、これが最も大きかったといわれているのが松嶋の独立だった。
 「'07年9月、松嶋は個人事務所を設立して移籍したのです。しかも、『オセロ』の育ての親ともいうべき男性マネジャーも松嶋について行ってしまった。中島は“育ての親からも相方からも事務所からも裏切られた”と大きなショックを受けてしまったのです」(芸能ライター・常山洋氏)

 その後、中島は心の隙間を埋めるように、I氏への依存を強め、同居生活を開始したというわけだ。
 「『ワイド!スクランブル』のインタビューは90分ほどあったそうですが、オンエアで使われたのはその4分の1ほど。放送されなかった部分は、ほぼ“松嶋と事務所への恨み”で占められていたそうですから、修復するのは不可能でしょう」(ワイドショー関係者)

 では、今後の中島はどうなるのか。
 「頼りは今回の一連の“仕掛人”と報じられた出版社(幻冬舎)社長の見城徹氏だけ。暴露本〜ヘアヌード写真集出版で一発逆転を狙うしか手はありません」(芸能記者)

 まさに裸一貫だ。

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