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次クル芸人 〜新時代に輝くホープたち〜 (Vol59 カミナリ)

 『M-1グランプリ2016』の決勝戦に、まさかの初進出。年末には、露出が増えた。茨城県なまりで、どつきツッコミ。同郷で仲がいい。…らしいが、ホントはどんな人? (伊藤雅奈子)

 ――“M-1”効果はありましたか?

 竹内「今までテレビで観てた先輩たちが、声をかけてくれて」
 石田「僕たちのことを知ってくれてんだって、驚きが多いです、最近は。少し前だと、千原ジュニアさん。スタジオで向こうのほうから、『M-1、おもろかったで〜っ』と話してくださいまして」
 竹内「会話も弾むようになりました」
 石田「これまでの5年間は、コントをやってたんですけど、去年の“M-1”復活をきっかけに、漫才をはじめたんです。コントのころは、他事務所と交流がなくて、10人のお客さんの前でやってて(笑)。でも、今年は100人以上のお客さんの前で、その日のネタの統計もとれて、芸人さんとの交流も増えて。ネタのいいところ、悪いところが見えて、ちゃんと揉まれました」

 ――地元の茨城弁を残しつつ、石田さんが竹内さんの頭をどつく漫才スタイルは、どのようにして完成したんですか?

 石田「漫才中、まなぶくんがずっとアゴを出してて、僕が『そういえばアゴ出てんなぁ』と最後のほうにツッコんだら、ある番組のスタッフさんから、『“そういえば○○だなぁ”って遅れてツッコむって、発明だね』っていわれたんです」
 竹内「あとで聞くと、その人も同じ茨城出身で」
 石田「『革命』とまでいってくれたね(笑)」
 竹内「そう。で、どつくというのは2014年、まだコントをやってたとき、地元でライブをやって、基本ウケてるんですけど、ホームのわりには、あれ!? っていうウケ方で。悔しくて、アドリブで頭をおもいっきりブッ叩かれたら、東京ドームが沸いたぐらいの歓声と笑いが起こって(笑)」
 石田「そのあと漫才に切り替えて、叩いたあとに、『そういえば○○だなぁ』ってゆっくりツッコむスタイルになっていきました」

 ――竹内さん、頭は痛くないんですか?

 竹内「ウケると、ぜんぜん痛くない」
 石田「スベったら、痛みを感じるんだよね(笑)」
 竹内「叩かれ方、“M-1”決勝の2日前に見つけたんです。たくみくんのほうを向いていると、鈍い音なんですけど、僕がボケて、(左側頭部を)叩かれてから(石田のほうを)向くと、いい音が鳴る」
 石田「鳴らない場所とか、鈍い音とか、いろいろ試したね。ただ、“M-1”が終わってからは、叩くネタと叩かないネタの両方を作っていこうと決めてました。漫才の幅を広げる意味で」

 ――このコンビは、竹内さんがキーマンのような気がします。

 石田「根っから優しいんですけど、普通に間違えることが多い。『小学校のとき賞状をもらって』っていう話をしているのに、最後まで聞いたら、賞状がまったく関係なかったとか(笑)。それが漫才につながったんで、まなぶくんが完ぺきな人間だったら、今のスタイルはできていない。学歴はあるのに、バカキャラですから。早稲田大学ですからね。それも、文系の全学部を受けて全部落ちて、2浪目で10個受かったという(笑)」
 竹内「政治経済学部に入ったんですけど、経済って、学問的にいうと理数系らしく。数学はぜんぜん勉強してなかったんで、単位を取れなくて、バーベキューばっかりやってました。木曜に食材を決めて、日曜日に焼く(笑)。その結果、6年半通って、40単位しか取れなくて、去年中退。辞めた時期にたまたま漫才をはじめたんで、(事務所の先輩の)サンドウィッチマンさんは、“気合が入った”と捉えたようで」
 石田「まなぶくんは、持ってる人なんです。学生時代はサッカー部で、へたくそで補欠だったんですけど、同点の試合で最後の5分で出されて、Vゴールを決める。それを3、4回も経験してる」
 竹内「真ん中がない人生なんですね。今回も、漫才に変えて、いきなり“M-1”ですから」

【プロフィール】竹内まなぶ(左) '88年9月生まれ。石田たくみ '88年7月生まれ、ともに茨城県出身。2011年コンビ結成。グレープカンパニー所属。

(次回は17年1月最終週に更新)

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