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【戦国武将今川義元編(2)】幽霊となった義兄の忠告に義元は一切聞く耳をもたず

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提供:週刊実話

 恵探は義元により2歳年長だが、側室の子である。京の有力公家の出身である正室の寿桂尼(じゅけいに)から生まれた義元と比べると、出自では不利。後継候補に挙げられることもなく、生まれながらに僧として生きるしか選択肢はない境遇だった。しかし、気性は荒く野心も旺盛、僧には向いてない。氏輝の死後、今川家重臣が集まって後継問題を話し合い、血筋を考慮して義元に家督を相続させることになった。当時の慣例からして順当な選択だったが、
「そんなこと、俺は聞いちゃいねぇぞ!」

 恵探は決定を無視。母方の縁者である有力家臣の福島氏を味方につけて挙兵し、力づくで跡目を奪おうと行動に出た。一時は優位に展開するが、義元が帰国すると形勢は逆転。家臣団は次々と義元に臣従し、長年の付き合いから隣国の北条氏まで義元に協力して出兵してきた。四面楚歌の状況で恵探は本拠としていた花倉城を攻められ、あえなく落城してしまう。恵探も城を脱出して山中に逃れたが、もはや命運は決していた。

 義元と比べて実力が劣っていたわけではない。しかし、名門意識の強い今川家家臣団は、個人の実力よりも正室の子である義元を支持して、側室の子の恵探を見限った。

 どんなに努力しても越えられない「血脈」の差。それを見せつけられて限界を悟った恵探は、寂しく山中で自害して果てた。

 さて、江戸時代初期に成立した『当代記』によれば、桶狭間合戦の前夜、義元の枕元に恵探の幽霊が現れたという記述がある。このとき、恵探は出陣を中止するよう忠告したという。今川家のために恨みを忘れて危険を告げようとしたのだが、
「お前は敵だ。敵の言葉なんぞ、信用できるものか!」

 義元は突っぱねて出陣を強行。その数時間後に首を獲られてしまう。欲望も恨みもすべて亡骸に残して天に召された恵探とは違って、苛酷な乱世に生きる義元に、過去の恨みや他者への猜疑心を捨てろというのは、無理な話だったのかもしれない。

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