簡単に見つからないという現実はあるものの、どう考えても、これまでに発見されたものより、いまだに眠り続けている財宝の方が圧倒的に多いはず。実は長年の調査が実を結び、ターゲットに手が届きそうな現場が数カ所ある。また、探査技術もここ数年で格段にレベルアップしているから、お楽しみはこれからである!
■埼玉の旧家の大判がもう一息
最初にご紹介するのは、前回のシリーズでも取り上げた埼玉県鴻巣市の旧家・横田家墓地の財宝だ。昨年8月上旬に始まった大規模な発掘作業は、いよいよ大詰めを迎えている。
地盤が軟弱なため、重たい金貨が地下水の層近くまで沈み込んだようで、工事は極めて難しい。地下水の水位の低い冬場を狙って、昨年1月から準備を始め、最初の計画では3月までにはフィナーレを迎えるはずだったのが、いろいろな事情で遅れ、スタートが夏になってしまった。そのため涌き出す大量の地下水の処理に追われ、なかなか金貨の入った箱までたどり着くことができなかったのだ。しかも年末近くになって、周辺の広い範囲で地盤沈下を起こす危険性が出てきて、工法を抜本的に考え直さざるを得なくなった。
筆者はあくまでアドバイザーで、発掘の先頭に立っているのは横田家の現当主。詳細については次号で述べることにするが、当主は時価2000万から3000万する慶長大判が少なくとも100枚はあるはずと自信満々である。かつては正月の親族の集まりの席で必ず秘蔵の慶長大判のお披露目があったそうだから、何十年ぶりかでそのイベントが復活することを期待しているところだ。
■旧日本軍の隠匿財宝が3カ所に
筆者は1998年(平成10年)から約4年間、北陸某県の山中で、太平洋戦争末期に旧日本軍によって隠された貴金属と美術工芸品の探索を行った。これらは大陸で略奪してきたものと思われ、埋蔵当時に時価3億円と値踏みされていたものだそうだから、現在の価値は3000億円に相当する。
ある人物が、今から30年ほど前に土砂で完全にふさがれていたトンネルを発見し、その奥に宝蔵があるに違いないと確信したものの、老齢のためにそれ以上続けることができず、筆者に助力を求めてきたのだった。あまりに生々しい話だし、難工事になるのは必至だったからかなり迷ったが、戦後処理の一環と心得、協力者が現れたこともあって立ち上がった。しかし、目的のものに近づいている手応えと引き換えに、落盤や酸欠など命に関わる危険が生じてきて、10年ほど中断している。依頼人のためにも何とかして再開したいとは思っているのだが、今のところ条件が整わない。
そうこうしているうちに、似たような話が2件舞い込んできた。やはり旧日本軍が海外から持ち込んで隠匿したもので、一つは新潟県の山中、もうひとつは北海道東部だ。新潟はシンガポールから船で運ばれてきた貴金属類、そして北海道は大型輸送機で台湾から運ばれてきた7個の軍用行李で、貴金属の他に1941年(昭和16年)に北京の協和医学院からこつぜんと消えた北京原人の化石骨が入っている可能性がある。
この2件の調査プロジェクトに筆者も関わっていて、追って詳しくご報告するが、注目すべきは間もなくドイツから入ってくる予定の高性能の探査機だ。センサーが捉えた地中の画像をアイグラスというゴーグルのような道具で移動しながらリアルタイムで見られ、驚くことに探査可能な深さは25メートル、しかも3Dで分析することができるという。
価格は500万円もするが、本誌の前シリーズの最終回を読んだ人物がプロジェクトにポンと資金を提供したというから、筆者としても力を入れざるを得ない。
■今年こそ決着がつくか、徳川埋蔵金
群馬県片品村山中の金山跡に、幕末の徳川埋蔵金の一部と思われる15個の千両箱が、まだ眠り続けている。2009年の秋に、ふさがれていた金山の坑口を開け、目的の場所にたどり着くことができたものの、どういうわけか、我々が手にするはずのものがそこにはなかった。
可能性が残るのはただ1カ所、まだうずたかく土砂が積もったままの坑口付近だ。以後1年おきに通い続けていて、2013年中に片づけるつもりでいたのだが、その2年前の夏の豪雨で、沢沿いのアクセス路がズタズタになってしまったために、倍以上の時間がかかるようになり、思うように計画を立てることができないでいる。
とはいえ、貴重な歴史遺産である金山跡を、このまま放っておくわけにはいかないので、何としても今年こそは決着をつけたいという思いを強くしている。
トレジャーハンター・八重野充弘
(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。