おそらく報酬を期待してのことだろう、情報を握っていた日本人がGHQにタレ込み、米国人ダイバーが確認した。新聞でも報道されたし、映像も残っているから、これらが引き揚げられたのは間違いない。
しかし、当時の推定時価370億円、現在の貴金属の相場で算出すると総額3000億円超になる財宝が、その後どうなったかについては謎に包まれている。
日本政府に返還され、日銀の地下金庫に納められたことになっているが、この問題が国会に持ち出されたり、所有権を主張する者が複数現れたり、関係者が変死したり、騒ぎはずっと後まで尾を引いている。ちょくちょく詐欺のエサとして使われる《M資金》の元となっているなど、さまざまな憶測があるだけで、真相は闇の中だ。
筆者は、トレジャーハンティングを始めた40年前から、他にも旧日本軍の隠匿物資のウワサがあることは知っていたが、あまりにも生々しく、生き証人までいる場合もあって、埋蔵金のイメージからちょっと外れるので、進んでターゲットにするつもりはなかった。『Tプロジェクト』と称して、1998年から4年を掛けて調査した北陸某県の一件もその部類に入るが、腰を上げる気になったのは、人格的に申し分のない人物からの、たっての依頼事だったからだ。また、我が国が国家としてまだ完全には済ませていない、戦後処理の一環にもなるのではという思いもあった。
そこには、貴金属の他に貴重な美術工芸品が多数あるという。埋蔵した昭和19年当時の価格が3億円と評価されていたそうだから、現在の時価は3000億円。調査現場は旧軍が掘ったと思える横穴の奥で、落盤や酸欠の危険に直面したため、『Tプロジェクト』は中断したまますでに10年以上がたってしまったが、決して諦めたわけではなく、安全と人手が確保できれば、いずれ再開したいと思っている。
最近になって、同じジャンルの他の情報のうち、2件については、いろいろな事情から首を突っ込まざるを得なくなってきた。本当に眠ったままになっているものがあるのなら、やはり世に出した方がいいに決まっている。
そのうちの一件の現場は、新潟県柏崎市にある。柏崎といえば、すぐ思い浮かぶのが刈羽村にまたがって建つ原発だ。現在は停止中だが、7基の原子炉を有し、820万kW以上の発電能力を持つ世界最大の原発である。
そこから南南東に約13キロのところに八石山という小高い山がある。三つの峰を有し、最も高い中八石は標高518メートル。遠くから見ると大仏が仰向けに寝ている姿に似ているところから「大仏の寝姿」といわれている。麓には不動滝、屏風滝という美しい滝があり、登山道も整備されているので、手頃なハイキングコースとして地元の人に親しまれている。
現場はまさにこのハイキングコース上にある。調査中なので、詳しいポイントまで明かすことはできないが、旧軍によって隠された金塊とダイヤモンドが眠っているはずだ。数量ははっきりしないが、時価数十億円から数百億円の莫大なものらしい。
終戦間際、財宝はシンガポールから十日町にあった海軍の飛行場へ運ばれてきて、柏崎へ移動した後、一時鯨波の旧家の蔵に保管され、その後、最終目的地へ運ばれたという。十日町にはかつて「伊達原秘密航空基地」とか「伊達原牧場」などと呼ばれていた海軍の秘密飛行場があった。正確な場所は不明だが、痕跡は残っているので、経由地はそこに違いない。鯨波の旧家については近々はっきりするはずだ。
もう一点、わかっていることがある。この隠匿埋蔵計画を指揮したのが、小磯國昭だったことだ。日本の歴代の首相の中で、この人ほど知名度の低い人物はいないかもしれない。それもそのはず、太平洋戦争末期に、政策面でも軍事面でも行き詰まっていた東條英機の跡を受け継ぎ、昭和19年7月から翌年4月までの、わずか9カ月弱しかその職に就いておらず、本人も陸大卒の軍人だったが、国家の実権を握っていたのはあくまで軍部で、本土空襲の際にも政府は全く無策だったし、極めて影の薄い首相だったからだろう。
その小磯が、なぜ海外から持ち込んだ財宝を新潟の山中に隠すことを思いついたのだろうか。
(続く)
トレジャーハンター・八重野充弘
(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。