ラッキー舞は、この道に入ってキャリア19年。「太神楽曲芸では、今や関西では女流の第一人者ですね」と声をかけると「人数が少ないだけですよ」と少し恥ずかしそうに笑った。ちょっと古風な感じの笑顔に着物と袴の清楚な衣装が似合う。舞台芸人というより、どこかの神社の、感じのいい巫女さんと言った方がピッタリきそうだ。
改めて職業を聞くと「曲芸師です」。我が国では「曲芸師」と言えば、角兵衛獅子の昔から、華やかさの裏にどこか寂しさが漂っている。芸がまずいと叱られて〜ではないが、どちらかと言えば暗いイメージがつきものだ。だが彼女には、そんな寂しさ、うら悲しさが感じられない。裏表のない明るさが、曲芸師としての彼女の個性。
普段の彼女は、温泉旅行の大好きな、どこにでもいるごく普通のお姉さん。だが、いったん舞台に上がると、何かに憑かれたように表情が変わる。賑やかな伴奏と軽妙な口上にのって、傘の上で鞠を走らせ(傘の曲)、あごの上に茶碗を積み上げ(五階茶碗)、出刃包丁で皿を廻す(出刃皿)。見ているだけでヒヤヒヤしてくる難芸を、笑顔と絶妙のバランス感覚でこなし「おめでとうございます!」「できました!」。見事に決まった妙技の数々は、舞台の華であり、めでたさは、いやが上にも高まっていく。
「舞台では、見物の方からのハラハラドキドキの空気がもの凄く伝わってきます。それだけに大技を無事やりおおせた時の爽快感は、何物にも代え難いですね。お客さんの期待に応えられたっていう喜び。そんな時には笑顔が自然に浮かんでくるのがわかるんですよ」
投げ物、立て物、廻し物など数ある太神楽のレパートリーの中で、得意の演目は「出刃皿」だ。
「刃物を使う危険な演目ですが、いちばんリズムに乗れるんです。これがうまくいくと、その後の流れもうまくいくんですよね」
父は曲芸の師でもあるラッキー幸治。太神楽の名門・豊来家一門を率いる名人で、昭和20年代から様々な一座で活動し、その多彩な演技には定評がある。ラッキー舞もそんな父親を見ながら育ち、誰に言われることもなく、父の歩んだ道、曲芸師を志した。
「その頃は父の後を継ぎたいというより、父の手伝いがしたいという気持ちの方が強かったですね」