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【戦国武将】壁から血が染み出す怪異現象で知られる古刹

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提供:週刊実話

 豊臣秀吉により筑前中津12万石を与えられた黒田官兵衛だが、地元の豪族たちの反乱に手を焼いた。中でも手強い宇都宮鎮房に対して、官兵衛の息子・長政がこれを暗殺しようと謀略を仕掛ける。天正16年(1588年)、長政は鎮房に破格の条件で和議をもちかけ、中津城下へおびき出す。鎮房は城下の合元(ごうがん)寺へ入り、ここに家臣たちを待機させて中津城へと赴く。城内では酒宴が催され、鎮房も酒が入り油断した。その隙をついて長政は鎮房を殺害。さらに城兵を合元寺へ差し向け、ここで待機していた宇都宮氏家臣団も皆殺しにした。家臣たちも奮戦したが多勢に無勢で、次々に斬り殺され鮮血に染まった。

 当時の激しい戦いを物語る刀傷が、庫裏(くり)の柱に残っている。寺の壁や塀も血しぶきに染まり、その後に幾度、塀を塗り替えても血が染み出てきたという。このため塀は血の色と同じ赤色で塗られるようになり、以来、合元寺は「赤壁寺(あかかべでら)」の別名で呼ばれるようになった。事件の後、鎮房と家臣たちを合元寺に合葬して菩提を弔ったが、現在でも寺の外壁はすべて赤色で塗られたまま。血が染み出す怪異現象は、まだ収まっていないのかもしれない。

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