筆者も立ち会った初日の滑り出しは順調で、1日で2メートル以上は掘り進んだ。このペースで行けば早いぞと思っていたが、そうはいかなかった。深くなればなるほど水分も増えて作業がやりにくくなり、10日後に行ってみるとやっと6メートルを超えたところだった。
とりあえず目標にしている深さは9メートル。ヒューム管とライナープレートをつないだ円筒形の底にあたるレベルだ。大判の入っている箱は、それより3メートル下にある。
大きな難関は開始から約半月後にやってきた。深さ7メートルほどのところで地下水が噴き出し、掘削を阻んだのだ。そこで、ヒューム管から2、3メートル離れた場所に別の井戸を2本掘ってこれをバイパスとし、そこから地下水を排水することにした。井戸の径は30センチから40センチ程度で、機械で掘るから10メートルあまりの深さまでそれぞれ1日で完成した。
ところが、そこでまた別の問題が生じた。二つの井戸から水を汲み上げるのに使うポンプは、200ボルトの電圧が必要なのだ。東電に申し込んで新たに引き込み線を設置してもらうことにしたが、3週間は待たなければならないというので、ちょうどお盆の時期でもあったし、作業は一時ストップした。
このころから、1年半前の発掘に直接関わった沖縄のN氏が、プロジェクトに参加するようになった。N氏は縦穴を10メートル以上の深さまで掘り下げたのだが、やはり地下水に阻まれてターゲットに手が届かず断念している。しかし、最終段階で硬い鉄の棒を突き刺して、間接的にではあるがターゲットに触れているのだ。
N氏は沖縄で戦時中の不発弾の処理の仕事に就いていたことがあり、差し棒に触れたものが石なのか金属なのか区別がつく。いわばプロだ。このとき棒の先にあったものは間違いなく金属だったという。
N氏は地下レーダーの探査でも2個の箱状の物体を確認している。本人はもちろん、大判が顔を出す瞬間を見届けたいから参加しているのだが、横田氏も今回は他のチームに現場を任せることになったので、せめて立ち会いだけでもと、彼を呼び寄せたのだ。
工事が再開されたのは、まだ残暑厳しい8月末のこと。電源が確保され、2本の井戸が効率よく地下水を排水していた。ポンプはノンストップで動いていて、縦坑の底の水位は少しずつだが確実に下がっていった。
そして10月に入り、いよいよ決着がつく日は近いかと思われた矢先、現場に見慣れない人物が2人現れ、状況は一変した。
どこから情報を得たのかわからないが、環境保全を担当する鴻巣市役所の職員だと名乗った。そして言うには、市の規則で、井戸を掘る際には事前に許可を得なければならず、場所と規模によっては許可が出ないこともあるとのこと。地盤の軟弱なこの土地はかなり厳しく、径40メートルとなると十中八九アウトとも。地下水を無制限に汲み上げると、一帯が地盤沈下を起こす危険があるのは事実だ。
横田氏は頭を抱えこんだ。しかし、工事会社のK社長の決断は早かった。
「井戸を使うのはよして、縦穴の底から汲み出すだけで掘り下げる方法を、何とか考えましょう」
皮肉なものだ。水を得るための井戸掘りのプロが、水が出ないように穴を掘り進める方法で悩んでいる。こんなことはおそらく初めての経験だろう。社長以下3名ないし4名の発掘チームは、8月からずっとこの一件だけに関わっていたわけではなく、間に他の場所ではちゃんと水の出る井戸を掘っていたはずである。
以後、年末まで筆者の足は現場から遠のいていたが、横田氏から進捗状況について報告だけは受けていた。内容はというと、実はなかなかうまくいっていない。とにかく、ターゲットのある12メートルまで掘り下げるのがとてつもなく難しいのだ。
むろん、川の中の橋脚の工事のように、掘る範囲を広げ、綱矢板を深く打ち込むとか、しかるべき工法はあるのだが、費用がかかりすぎる。数十億の成果を前にして数千万のカネを出し惜しみするのかと言われそうだが、かけられる予算には限度がある。
いずれにしろ、地道ながら一歩一歩進んではいるようで、年が明けた1月2日には、差し込んだ鉄棒の先の細い溝に金が付着してきたという報告があった。
この原稿の執筆中も、「出ましたよ!」という連絡が入るのを、ワクワクしながら待っていた。
本誌誌上で続編をお届けできることを、筆者自身が楽しみにしている。
(完)
トレジャーハンター・八重野充弘
(やえのみつひろ)=1947年熊本市生まれ。日本各地に眠る埋蔵金を求め、全国を駆け回って40年を誇るトレジャーハンターの第一人者。1978年『日本トレジャーハンティングクラブ』を結成し代表を務める。作家・科学ジャーナリスト。