源頼朝が開いた「大倉御所」(1180〜1225年)は2代頼家、3代実朝と源氏将軍3代が政務を行い、実朝の死後、4代将軍藤原頼経が執務した「宇都宮辻子御所」(1225〜1236年)、最後の9代将軍守邦親王まで続いた「若宮大路御所」(1236〜1333年)の3つである。
つまり、「大倉御所」は、鎌倉・室町・江戸と700年続いた武家社会のルーツなのだ。この「大倉御所」遺跡の一部、約2000平方メートルを'17年8月に東急不動産が取得し、今年11月のマンション着工を目指していることが分かった。
「この一帯は県埋蔵文化財包蔵地台帳に『官衙跡』として記載されている。これまでの研究で、ここが大倉御所跡であることが確実視されており、日本史上でも屈指の重要遺跡と言えます」(日本考古学協会関係者)
こうした場所を開発する場合、着工前に「行政発掘」が行われ、何か出たか、何も出なかったかを記録に残さなければならない。
何か出て来た場合は、国や県、市が判断して土地を買い上げたり、さらに調査発掘される可能性がある。東急不動産は「何か見つかれば予定通りには進まないだろう。市と相談したい」としているが、問題は何も出てこなかった場合だ。
「大倉御所は7万平方メートルの広さで、今回はその中のたった2000平方メートルの調査です。鎌倉時代の文献によると、御所には大きな池や馬場があったとされていますから、現場がたまたまそうした場所だったら、何も出ない可能性もある。マンションが建った後に、隣接地から遺構が出た場合には、史跡指定などをする上では問題が出てきます」(前出・協会関係者)
“武家の古都・鎌倉”は世界遺産登録を目指したが、「どこに頼朝が住み、執務したかが考古学的に証明されていない」との理由で実現していない。マンションを建ててしまうと後々問題が残りそうだが、逆に今回の発掘で新発見があれば、世界遺産登録を勝ち取ることができるかもしれない。それにしても「イイハコ(1185)作ろう鎌倉幕府」の“イイハコ”がマンションとはあまりに出来過ぎではないか。