「事前に態度をはっきりしなかった」
という理由で、所領没収の改易処分にされてしまう。「裏切るのなら最初からそう言え」ということ。小早川秀秋は徳川家康としきりに密書を取り交わして、家康に味方することを約束し、戦後の恩賞などの取り決めも行っていたのである。戦況に流されて考えなしに裏切っても、決して良い結果は得られないということだ。
また、小早川秀秋のほうは約束通り備前・備中などの55万石を与えられている。家康も約束を履行して所領は倍増したのだが、石田三成の亡霊に怯えて精神が崩壊。合戦から2年後の慶長7年(1602年)に21歳の若さで怪死してしまう。対面を重んじる武士にとって、裏切りは精神的負担も大きい行為ではある。その面でもリスクは高い。