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【戦国武将】現代も戦国時代も勤め人の苦労は同じ

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提供:週刊実話

 信長だけではない。天下を獲るような連中は、人の命など屁とも思わぬ冷淡なところがある。また、癖も強い。豊臣秀吉も信長の家臣で中管理職だった頃は、明るく面倒見の良い上司だったが…天下を獲ってからは豹変。身分の低い平民出身というコンプレックスから「あいつ、俺を見下してるんじゃないか?」と猜疑心が強くなる。そのため、秀吉のためを思っての諫言には耳を貸さず、
「ウザいから、九州に左遷!」
 と、天下獲りに最大の功労があった軍師・黒田官兵衛は、わずか12万石の遠い豊後中津に移封されてしまった。

 それとは逆に、優遇されるのは数少ない秀吉の親族や、幼少の頃から秀吉に従ってきた子飼いの武将のみ。つまり、血縁者しか重役になれない親族経営の企業のようなもの。この環境で冷遇されずに生き残るには、秀吉の前で道化て笑いをとり、好みの美女を付け届けたりと、嫌われないよう必死でゴマをすらなくてはならなかった。

 さて、信長、秀吉とくれば次は徳川家康だが、こちらも、なかなかのブラックぶり。
「お前さぁ、悪いんだけど死んでくれない?」

 関ヶ原合戦の直前、重臣の鳥居元忠に対して、西軍に攻められて落城することがわかっている伏見城の居留守役を命じている。勝利のためなら家臣に平然と死を求める。まあ、乱世だからそれもしょうがない側面もあっただろう。だが、その後のアフターケアが、とても手厚いとは言えない。江戸幕府が成立したとき、徳川家の直轄領は400万石にもなる。これは秀吉の直轄地の倍にもなるが、そのシワ寄せは直参の三河武士たちが被ることになった。家康に天下を獲らせるために、長年命を賭けて戦い続けてきた武将たちの所領は、そのほとんどが10万石以下。
「上様はどケチだから…」
 徳川四天王として活躍した本多忠勝も、晩年にはよくそう言ってグチったという。

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