「やはり、いい死に方はしなかったな」
誰もがそう言って納得したようだ。因果応報。息子によって殺されるという最悪の非道を味わわされたのも、これまで自らが犯した数々の非道の報い。身からでた錆だと同情する者は少なかった。道三は美濃守護・土岐頼芸から側室の深芳野(みよしの)をもらい受け、大永7年(1527年)に義龍を生ませた。喜ぶべき世継の誕生である。しかし、深芳野は道三の側室になる以前からすでに義龍を懐妊しており、本当の父は追放された土岐頼芸ではないか…と、そんな噂が立つようになる。根も葉もない噂だったとしても、道三にとっては面白いはずもない。
また、道三は痩身の男だったが、義龍はそれと似ても似つかぬ恰幅のいい大男。身長は六尺五寸(約198センチ)。規格外れの大男である。威圧感たっぷりの義龍の巨体を目にするたび、道三の猜疑心は強くなり、
「このバケモノが!!」
つい、罵詈雑言を吐いて冷たく接してしまう。父の冷淡な態度に心傷ついた義龍は、
「あれは俺の本当の父ではない」
そう思うようになる。土岐頼芸の落胤──その噂を信じるようになった。道三を父とさえ思わなければ、情け容赦なく戦って滅ぼすことができる。道三は隠居後も政治力を維持していた。三男・喜平次を溺愛して一緒に隠居城の鷲山城で暮らしながら、自分を廃嫡して美濃一国を与えようとしている。確たる証拠はないが、
「あのマムシなら、やりかねない」
疑心暗鬼に陥った義龍は、殺られる前に殺ってしまえと行動に出る。