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【戦国武将】解雇された重臣はホームレスとなり野垂れ死に

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提供:週刊実話

 どんなにダメ社員でも、定年まで会社が面倒を見てくれる終身雇用制なんてのは、もはや昔話。低成長時代の昨今、企業は生き残るために派遣社員に雇用形態をシフト。苛酷なサービス残業やノルマを課し、重労働で身も心もズタズタにされた揚げ句、会社の都合次第で切り捨てられる。「ブラック企業」という言葉が流行語大賞にもノミネートされる時代である。しかし、戦国時代にも現代のブラック企業に勝るとも劣らず、家臣を苛酷にいじめ抜く悪徳大名家が多々存在した。

 その筆頭といえば、やはり織田家だろうか。出自や家柄にこだわらず、実力次第で大出世が可能。と、実力主義はいいのだが…逆に無能の烙印を押されたら即クビ。それも織田信長によるかなり独創的な価値判断なのだから、家臣にとってはただの「難癖」としか思えない。

 例えば、織田家代々の重臣だった佐久間信盛も天正8年(1580年)に、「お前、使えないからクビ!」と突如として信長から追放を言い渡され、所領もすべて没収。高野山などを流浪した末に野垂れ死んだ。石山本願寺を攻めあぐんで「工夫がない」というのが理由だが、石山本願寺は誰が攻めても攻略の難しい要害。信長の非情な判断に「明日は我が身」と家臣は背筋が凍ったという。信長の意味不明の怒りの犠牲者となったのは、信盛だけではない。クビにはならないまでも、明智光秀や豊臣秀吉などは、信長の虫の居所が悪いときにはボコボコに殴られている。暴力は日常茶飯事だった。

 また、現代でいうところの残業や休日出勤などの労働過多も、織田家中では顕著だった。他の大名家では、兵士の多くを農民の臨時雇用に頼っているために合戦は農閑期に限られる。そのため長期休暇も多いのだが、信長は早い時期から兵農分離を完成させ、専業の足軽を多く雇用していた。24時間年中無休で戦えることが織田軍団の強みなのだが、家臣にとってはたまったものではない。休む間もなく戦いに明け暮れ疲労困憊していた。
「お前、明日からまた出陣な」
 信長の気まぐれでつかの間の休暇を取り消され、慌てて出陣することも多かった。明智光秀などは心身疲労のノイローゼ状態に陥り、ついにキレて「敵は本能寺!」となってしまった。

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